column 日々、思うこと separate

2022.05.23

コラム

オボエテマスカ

ハッキリ言うがわたしは記憶力の弱い人間だ。特に人の顔と名が一致しない。5年も住む同じマンションの隣人の顔がおぼつかないのだ。だからと言ってなんでもかんでも忘れてしまう訳ではないので安心願いたい(笑)。今回はわたしの乏しい記憶アーカイブから鮮明に記憶に残る事象を紹介する。

わたしは1991年株式会社GKダイナミックスに入社した。デザイン会社なので大抵社員は美術大学か大学のデザイン科で美術やデザインを学んできた強者ばかりだ。いっぽう、わたしは美術と縁の無い大学だった。中学から附属の大学に進学したのだ。そんなわたしがナゼ、そしていつからデザイナーになりたいと考えたのか。そのきっかけは記憶力の弱いわたしが今でも鮮明にオボエテイル。

絵や工作が大好きだった小学生のころの話だ。父は友人を自宅に招くのが好きだったが、友人宅を訪ねるのも好きだった。友人宅を訪ねるとき、良くわたしを同伴してくれた。当時、父が慕う久保さんのご自宅を訪ねるのはとても楽しみだった。久保さんは父と母の仲人であり、三栄書房で「オートスポーツ」という自動車雑誌を創刊した後、八重洲出版で「ドライバー」という自動車雑誌に携わり成功した方だった。久保さんは常に優しい物腰で、奥さまも優しい方だった。久保さんと父はお酒を吞みながら応接間で談笑するのだが、わたしはヒマなので久保さんはいつもこう言ってくれた「義治くん、書斎で好きな本を読みなさい」。書斎には本が山のようにあった。ほとんど自動車関連の書籍だが、写真集や海外雑誌もあった。わたしは自動車にも興味があったので、この書斎で過ごす時間は愉しくて仕方なかった。奥さまがお菓子やジュースを差しいれてくれるので尚更だ(笑)あるとき偶然「カースタイリング」という自動車デザインの本を見つけた。ページを開いた瞬間の驚きと感動は今でも覚えている。スタイリッシュな自動車はじつは「絵から生まれている」という事実だ。自動車の開発段階で「スケッチ」なる美しい絵が存在することは、40年以上前は一般にほとんど知られていなかったのではないか。鮮やかな背景色と描かれた先進的スタイリングのスケッチと、輝くばかりのメタリックに塗装されたフルスケールモデル、そしてカッコいい担当デザイナーの写真をみて「世の中にこんな仕事があるのか!」と衝撃を受けた。「カースタイリング」は、わたしが興味をもっていた自動車(当時はスーパーカーブームだ)、そして大好きだった絵を描くことがシンクロするきっかけになった。その衝撃は、結果としてその後の自分の生業の方向を定め、そして今もなお続けているデザイナーのスタート地点だったのだ。

写真は父が所有していたトヨタ2000GTと、父に支えられてよちよち歩きする筆者。流石にこのときの記憶はオボエテイマセン。

( 代表取締役社長 菅原義治 )