column 日々、思うこと separate

2022.03.14

コラム

セイテンノヘキレキ 番外編

セイテンノヘキレキ・前編後編は、青天の霹靂からオフィス移転完遂の約8ヶ月についてギュッと凝縮した内容だった。「青天の霹靂は偶然でないかもしれない」と書いたように、わたしの意識変化とタイミングを同じくした若手のオフィス改造提案が呼び水となり、青天の霹靂は起きた。しかし青天の霹靂を招く事象はじつは他にあったことを紹介したい。

高田馬場駅界隈の無法地帯的カオス化。高田馬場にある早稲田大学は「日本の大学を超える」をスローガンに掲げ、数多の外国人学生が学ぶ。また高田馬場は日本の大学や企業を目指す外国人向けの語学学校がひしめいている。街は多種多彩な人に溢れ、活気が満ちている。「人種のるつぼ」と呼ばれる米国、ロサンゼルスで10年の駐在経験があるわたしは、ダイバーシティとダイナミズムを感じる高田馬場が好きだった。だがコロナ禍で変化が訪れる。巣ごもり需要でフードデリバリービジネスが急成長した結果、高田馬場駅界隈は注文待ちの配達員と彼らの自転車が屯するようになった。その数は日に日に増えた。夕食時間帯と重なる帰宅時間は自転車と配達員が歩道を占拠して、とても歩きにくい。LEDライトが瞬く自転車の群れ、そしてパーカーフードを深めに被った配達員たちが携帯電話を見つめるその光景は、さながらSF映画的カオス感を醸していた。猛スピードで大型保温ケースを載せて走るデリバリー自転車に危険を感じることも多々あり、もはや無法地帯である。社員たちの安全も気掛かりだった。

山愛ビルの拡張限界。40年前の入居以来、スペース拡張やビル内の移転、会議室の増設、什器や設備の更新など、さまざまなオフィス環境改善が施されてきた。コロナ前のわたしたちの働きかたは、全社員の約3割がほぼ毎日クライアント所在地、静岡県に出張していた。オフィスで全社員が顔を合わせるのは月曜日くらいだった。山愛ビルはそんな働き方に適したオフィス環境であり必要機能を有していた。しかしコロナ禍でわたしたちの働きかたがおおきく変わる。これまで皆無だった在宅勤務は常態化し、出張が激減したのにオフィスは連日ガランとしていた。そして巷では地方移転やスペースの縮小、オフィスを持たない会社も出現していた。アフターコロナ社会で、わたしたちクリエイティブを生業とする人が働くオフィスはどのような環境が適し、どのような機能が必要なのか、ずっと気になっていた。そんなモヤモヤの最中に若手から刺激的なオフィス改造提案をうけたことで、改めて山愛ビルの拡張限界に気付かされた。つまり彼らの希望実現には、これ以上パッチワーク的な改造を施しても本当の意味で解決に至らないということ。ゼロスタートのタイミングかもしれない、そんな覚悟がこの頃から芽生えたようにおもう。

さて自慢の新オフィス、コロナ禍が収束したら皆さんをご招待しようと検討中なのである。

( 代表取締役社長 菅原義治 )