column 日々、思うこと separate

2022.03.07

コラム

セイテンノヘキレキ 後編

2020年初春、連日コロナ感染症のニュースが流れるなか、わたしは役員を務めるオランダとアメリカのグループ会社訪問の計画をすすめていた。航空券購入の直前、想像を遙かに超えたコロナ感染症によって世界は一気にコロナ感染症に冒されてしまう。パンデミックである。4月7日、日本政府は緊急事態宣言を発出。わたしたちGKダイナミックスは翌日から全社員否応なしに在宅勤務へ突入した。事前準備や社内規則の整備がままならない状態ではじめた在宅勤務だったが、社員のレジリエンスはとても高く、今なおオフィス出社人数は全社員の5割以下に抑えられている。社員の皆には感謝しかない。

 

2021年、コロナ禍が2年目に入った5月末日、2020年入社の若手社員からオフィス内装の改装提案があった。オフィスの一部を会社の顔となる空間とすべく、SNS映えするようなカフェ的スペースに自らDIYで内装を創るというものだった。この提案に心を大きく動かされたわたしは、夏期休暇中に有志で改装しようと思いを巡らせていた。その一方で付け焼き刃的な中途半端なものになりはしないか、という迷いも正直あった。6月中旬の昼休み焼き魚が旨い目白の定食屋が満席、別の店も満席だ。しかたなく普段は通らない裏道をさまよっていると、道すがらふと見上げたビルの2階は、おおきなガラス窓が特徴の空っぽなオフィス空間だった。そのときナゼか「ここに移転しよう」という意識が降りてきた。まさに青天の霹靂、本当に青空の下での出来事だったのだ。会社に駆け戻り、管理者に電話すると借り手は決まっていた。帰宅後もネット検索を続けると、夜中にこれぞという物件が見つかった。翌朝電話、借り手は決まっていなかったので物件下見の段取りをはじめる。ここまで青天の霹靂から1日弱。しかしここではたと気付く「待てよ、2017年から物件探しでお世話になったF川氏に相談するのが筋ではないか」と。2019年末以降、交流の途絶えていたF川氏の再登板は、その後の工程がすべて上手く廻るおおきな要素となる。そして以下の如く怒濤の勢いで新オフィス移転へと邁進した。

7月初旬〜8月頭、候補の2物件の内覧と賃貸条件に対してこちらの要望を伝えつつ交渉。8月お盆明けに最終決定と物件契約。9月初旬〜、内装デザイン業者候補の2社との協議。10月末、内装デザイン業者決定。11月〜、移転詳細の詰め。2022年1月6日〜内装工事着工。2月末に引越、3月1日より新オフィス稼働。

 

前編で書いたように2019年末以降、オフィス移転はわたしの意識から一旦消えた。しかしコロナ禍は社会だけでなく、わたしを大きく変化させたようだ。故に若手社員の提案をきっかけに、移転の気持ちが再来したのだとおもう。そういえば青天の霹靂の後、ネット検索で夜中に見つけたのが今回のビルだった。そして新しいオフィス自慢のおおきなガラス窓、それは目白の裏道で見あげたビル2階の空っぽなオフィスの特徴でもあった。そうか、青天の霹靂とは偶然で起こるものでないのかもしれない。

( 代表取締役社長 菅原義治 )