column 日々、思うこと separate

2022.03.01

コラム

セイテンノヘキレキ 前編

3月1日、今日は新しいオフィスの仕事初日だ。雑司が谷駅ほど近くあり、明治通りに掛かる千登勢橋(東京都の著名橋指定)、その目白側北西にある7階建てビルの最上階が新たな仕事場である。因みにこのビルは一風変わっている。北を向いた円弧状のおおきなガラス窓が特徴で、グーグルマップで上空から眺めるとピザのスライスみたいなのだ。内覧したとき、この変わったカタチの特徴である幅25メートルのおおきなガラス窓から望む景色に、わたしはすっかり魅了されてしまった。

 

みなさんは青天の霹靂という瞬間に出会ったことはあるだろうか。今日から始まる新しいオフィスライフが実現するきっかけは、まさに青天の霹靂な出来事からだった。この出来事がなければ、わたしは青天の霹靂という瞬間に出会うこともなく、オフィス移転など起こり得なかっただろう。すこし時間を遡って説明したい。

2017年5月、GKデザイングループにファシリティ委員会なるものが設置された。わたしも出席した第一回委員会では「3年後までに東京6社のオフィス移転」が議論され、実現に向けた検討がはじまった。詳細は割愛するが、要約すると「東京6社が昔のように一つ屋根のもとで働こうではないか」(注:GKデザイングループは80年代後半に分社化し、それぞれの会社が高田馬場エリアに散在している)という、ややセンチメンタル色の濃い背景であったように記憶している。6社集結で得られるシナジーはもとより、2015年に創業者の栄久庵氏が逝去した2年後という時期であり、あらためてグループ結束力を高める意味合いも大いに含まれていたようにおもう。

初期計画では、幕張か木場あたりの倉庫をリノベーションして、東京6社が移転する夢のようなアイデアであった。しかし実際検討をはじめると6社の合意形成は難航した。そこで2017年冬以降はシナジーが見込め、且つ条件の似た会社が移転するコンパクトな計画へ変更となる。現実路線への軌道修正だ。そして2018年10月、GKインダストリアルデザインとGK設計が一緒に移転した。当時、わたしも移転実現を目指して多くの物件に足を運んでいたが、どの物件もピンとこなかった(熱心な不動産屋のF川氏には申し訳なかったが)。あわせて金銭面の不安が大きかった。GKダイナミックスは社員48名(2022年2月現在)とおおきい所帯だ。今後も毎年社員採用を計画していたし、現状に手狭感があったので、もし移転するならオフィス面積は拡大したいと考えていた。しかし当時の東京のオフィス賃料は右肩上がりで、決行すれば賃料の大幅負担増は明らかだった。くわえて移転するのは内装工事、家具購入、引越費と残置廃棄費、原状復帰工事等々、相当な資金準備が必要である。2019年末、わたしは移転計画の一旦凍結を決めた。無理な経営はしたくなかった。そして2020年初め、中国の武漢から前代未聞の感染症が世界にひろがる。同年4月7日、日本で初めて緊急事態宣言が発出されたのだった。

後編に続く

( 代表取締役社長 菅原義治 )