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2022.02.21

コラム, その他

ヤマハのデザイン

ヤマハのバイクらしさとは? そう聞かれた時、多くの人がそこに美しく普遍的なスタイルを思い描く。流麗、繊細、優美・・・と、それを評する言葉は様々だが、そうしたイメージの構築に大きく貢献してきたのが「GK」と呼ばれるデザイン集団である。

GKとは「Group of Koike」の略称であり、東京芸術大学の学生グループが師事していた小池岩太朗助教授の名にちなんだもの。戦後復興のまっただ中にあった1952年に発足し、デザインの世界を志す何人かの学生が自発的に集まった、一種のゼミがその母体になった。

ゼミとはいえ、当時のGKは多くのデザインコンペで入賞を果たし、メーカーから報酬を得るまでになっていた。最初のクライアントは丸石自転車だ。自転車といえば黒く、無骨な車体が多勢を占めていた中、彼らは婦人向けにグレーとピンクをあしらったスリムな車体を提案して’55年に製品化。クイーン号と命名されたそれは大きな反響を呼び、7万円のデザイン料が支払われた。大卒の初任給が1万3000円弱という時代のことである。

学生たちが描いた理想がカタチになり、スケッチを超えてインダストリアルデザインへ、つまり大量生産される工業製品として世の中に認められ、さらには事業として回り始めた瞬間だった。

ヤマハとの関係はその少し前にさかのぼる。小池助教授がヤマハからアップライトピアノのデザインに関して意見を求められた際、その解決方法をすでにGKと名乗っていた学生達に任せたことがきっかけになった。ヤマハはその若い感性を気に入り、設立の準備に取り掛かっていた2輪製造部門の仕事も彼らに委託。その結果として世に出たのが、ヤマハ初の量産車として知られるYA-1である。YA-1にはクイーン号に共通する美意識が強く見て取れ、その外装をアイボリーとマルーンで塗り分け、七宝焼きのエンブレムを備えるなど他にない上質さに満ちていた。

以来、多くのヤマハ製バイクにGKが関与。その主体こそGKグループからGKインダストリアルデザイン研究所へ、そして現在のGKダイナミックスへと移り変わってきたが、いつの時代もGKの名のもとで形作られてきたのだ。

ピアノ製造メーカーとして明治時代に創業したヤマハ(当時は日本楽器製造株式会社)にとって、2輪製造業への進出は社運を左右しかねない大きな転機だったはず。にもかかわらず、重要な最初の1台を学生のグループに一任したという事実になにより驚かされるが、そのアイデアは日本楽器製造の代表を務めていた川上源一がアメリカの長期視察中に思いついたものだった。大国で見て、触れたタバコやクルマ、コカ・コーラ・・・・・・。アメリカらしさを象徴するそういった数々の製品には例外なくデザイナーが関わり、クリエイターとして確固たる地位を築いていたことを知ったからである。

帰国後、川上は先のアップライトピアノの一件でGKに可能性を見出すと外部ブレーンとして登用。バイクのみならず、やがてボートやクルマ、スノーモービルなど、ヤマハが関わるあらゆる分野にそのセンスとアイデアを求め、彼らの自由な発想の中から必要のモノを汲み取っていくようになったのだ。

ちなみに、この時川上とともにアメリカを巡っていたのが、かの松下幸之助である。戦後復興の追い風を受け、2輪メーカー以上に電気メーカーが乱立し始めていたさなか、松下もまたデザイナーという存在の重要性に気づいていたが、こちらは外部ではなくそれを組織の一部にすべきだと考え、社内に製品意匠課を設立。技術者とともにデザインを理論的、構造的に進めていくという方法を取ったのである。もちろんいずれにも正否がないことは、両メーカーのその後の躍進を見れば分かる。

日本にはインダストリアルデザインという言葉もなかった時代にその重要性に気づいたヤマハの先見性とその価値をカタチにしてみせたGKの創造性。もしもどちらかが欠けていれば、「ヤマハらしさ」という問いに対する答えは、今とはずいぶん異なっていただろう。モノをデザインするという概念をカタチや色で表現し、企業にその価値を認めさせ、さらには生活を豊かにする道具として世の中に送り出す。それを60年以上も前に思い描いて実践してしまったGKは、ベンチャー企業の先駆けと言って間違いない。

当初は5人の学生から始まったGKも、現在では計12社からなるホールディングカンパニーに成長。本社機能を持つGKデザイン機構を核に据え、GKインダストリアルデザインやGKダイナミックス、GK設計、GKグラフィックス、GKテックといったグループ会社が周囲を構成。さらには地域に根差したGK京都やGKデザイン総研広島、あるいはアメリカやオランダ、中国に構えられたデザインオフィスなどがそこに加わる。薬のパッケージから成田エクスプレス、都市開発や地球環境に至るまで、その活動範囲はモノの大小、有形無形も問わず多岐に渡る。

インダストリアルデザインとは、大量生産と消費をうながすための手段ではなく、そのカタチに必然性があるかどうか、手元に置くべき価値があるかどうかの審判を世の中のニーズに託し、人々の生活様式やマインドにまで影響をおよぼす、すべてのプロセスをいう。安ければいいというものではなく、かといって贅を極めればいいというものでもない。また、長く愛されるにこしたことはないが、そこで消費が止まってしまえば商品を送り出す側のメーカーが立ち行かなくなる。インダストリアルデザイナーとは、そのバランスを図るプランナー、もしくはプロデューサーとしての役割も求められるのだ。

「デザインが消費に傾くと質が落ちる。その昔、栄久庵(えくあん)がよく言っていました。モノは愛着を持って長く使ってもらうことが大事。モデルチェンジのためのモデルチェンジではなく、時代や環境によって必要性が生じた時、適切に行わなければいけないと。ところが多くの日本人はスクラップ&ビルドを好むため、そうした価値観が文化や伝統として継承され難い。常にジレンマを抱えていたのではないでしょうか」

そう語るのはバイクやレジャービークルを主に手掛けるGKダイナミックスの代表、菅原義治さんだ。ここで言う栄久庵とはGKグループの創設者であり、世界デザイン機構の会長なども歴任した栄久庵憲司さんのこと。既述のクイーン号やYA-1、そして誰もが一度は手にしたことがあるキッコーマンの卓上醤油瓶のデザインを手掛けた張本人としても広く知られている。

栄久庵さんが特に深く関わったヤマハの製品には、確かにそうした普遍性が色濃く反映され、異例とも言えるロングセラーモデルが多い。セローやV-MAXなどは30年以上、SRに至っては40年近い年月を必然性のある改良のみで乗り越えてきたことがなによりの証だろう。

「ヤマハの場合は確かにそうですが、ほとんどのデザインは長持ちすることよりもキャッチーであることが求められます。本来は進化論のように少しずつ機能を適応させていくべきところを、とりあえず撃ちまくって当たるのを待つようなショットガン的なモノ作りが今は主流。結果的に撃っている本人もどこに向かって、なにを狙っているのかわからなくなる状態ですから、受け手はもっとそう。“デザインなんてなんでもいい”、“安ければよし”という方向にどんどん引っ張られていきがちです。デザインには基準がないからこそ、大衆が本当に望むカタチを突き詰め、それを超えるモノを作れるかどうか。我々の存在意義はそこにあるべきです。ある意味、デザインってお節介なものだと思います。ただし、そのお節介もいい意味で度が過ぎるとそこになんらかの価値が生まれ、逆にそれが中途半端だと消費者の心に響かず、それ以前にメーカーのエンジニアや設計者から相手にされず、カタチになることも世に出ることもないでしょう。お節介を他の言葉に置き換えるなら愛とか執念。決して爽やかできれいなものではなく、ドロドロとしたなにかのなれの果てがデザインの本質かもしれません」

1台のバイクを生み出す場合、エンジニアとデザイナーのアプローチはそれぞれでまったく異なるものの、カタチが出来上がっていく過程では様々な作業がリンクする。デザイナーは自分が思い描いた美しさや力強さを完成させるためにフレームの設計変更をエンジニアに求めることもあれば、理想のハンドリングを追求したいエンジニアが自らクレイを削ってパーツの形状変更をデザイナーに求めることもある。そうした過程の中から生まれる機能と性能に、美しい造形を融合させたカタチがヤマハらしさの真骨頂である。

「とはいえ、デザイナーがエンジニアリングの知識にも長けているかと言えば、必ずしもそうではなく、なまじ知っていると発想を邪魔しかねません。僕も最初は機械工学の勉強をしたり、バイクも上手に乗れるに越したことはないと思っていましたが、そのことをアメリカのマネージャーに相談すると“ヨシハル、スペースシャトルのデザイナーは誰もそれに乗ったことがないし、エンジニアだって誰も操縦できない。まして宇宙に行ったこともないのにあの素晴らしいカタチと機能が出来上がる。すべてのことを知る必要はないが、機能美がなにかは常に考えているべきだ”と言われて確かにそうだな、と」

そんな菅原さんに備わっているのはバランス感覚のようなものだろう。デザインさえできればOKというアーティストでも、利益優先のビジネスマンでもない。入社25年間のうち、15年間をアメリカで過ごしたせいか、GKグループ全体を俯瞰して見ている印象だ。

「アニミズムという言葉がありますよね?自然界のすべてのモノには魂が宿り、人の手によって作られた道具にもその心が宿るという一種の精霊信仰です。栄久庵自身もそういう思想に立っていましたし、とても日本らしいモノの見方ですが、それは作り手に高い美意識があり、鑑賞眼や審美眼のようなものが備わっていてこそ成立するもの。ところが、最近の多くのデザイナーはモノを見て捉えたカタチを紙にペンで表現する。そういう基本的なデッサン力さえ、衰えてきているように思います。主にデザインソフトの弊害だと思いますが、眼で見た生の情報よりもデジタルの数値や角度を優先してしまい、距離感や奥行が人間の眼を通したモノとして表現できないのです。だから検証にすごく時間が掛かり、そのくせ出来上がったカタチにはドラマチックさやエンターテイメント性が感じられない。一方で昔ながらの絵はまずそれ自体が完成されていて、2次元でも間違いなくいいプロポーションであることが分かります。例えばカーデザイナーの内田盾男さんがクルマの絵を描いたとしますよね。それを職人に見せるといきなりアルミを叩き始められるほど1枚の絵から発する情報量が多いのです。作り手には伝えたいメッセージが、受け手にはそれを解釈する素養がちゃんとあることの好例ですね」

もちろん昔と今では状況が違う。なにをするのにも法規制や環境問題が絡むために新しいなにかを生み出し難く、それをクリアしようとすれば社内の部署間で綿密に連携を取る必要性が飛躍的に増えた。ゆえに、とりわけメーカーに属さないGKのような組織がクルマやバイクの分野で活躍するには相当コンペティティブな力とそれ以上に高度なバランス力が求められていくことは明らかだ。

事実、ヤマハは’12年にそれまでなかったデザイン本部を社内に設立し、デザインのインハウス化を推進。これまでその裏方に徹していたGKダイナミックスの在り方は、栄久庵さんが亡くなったことも含めて(’15年、85歳で逝去)、大きな転換期を迎えようとしている。

GKグループが今後なにを拠りどころにし、どこへ向かっていくのか。その行く先は、かつて栄久庵さんが送った後進へのエール、「冒険に喜びを見いだそう」というひと言に集約されているように思う。

(初出:ahead 2016年11月号)

フリージャーナリスト  伊丹孝裕 

https://note.com/takahiroitami

Photo by Terutaka Hoashi (Top image)