COMPANY


株式会社GKダイナミックス 代表取締役社長

菅原義治 

㈱GKダイナミックスは、GKデザイングループの一社としてモーターサイクルを中心に、ライフスタイルをより豊かにするプロダクトのデザインを行っています。「使う人」を常に物造りの中心に据えた我々のデザインは、五感に様々な快い刺激を与え、定番として心に残るカタチと成ります。
 
略歴
1991年立教大学経済学部経営学科卒業後、㈱GKダイナミックス(東京)、GK Design International Inc.(L.A.)で雪原から海上まで、様々な環境を見極めたプロダクトデザイナーとして活躍。世界各地でのデザインディレクター、プロダクトマネージャーとしての経験を活かし、新たなデザインの可能性に臨む。

 
身体を使って活動する悦び、身体を超えて新しい世界を知る感動。
機能を見せる、機能を潜ませる、機能をカタチにする。
心を昂らせるのが私たちのデザインの使命です。

 

名称
株式会社GKダイナミックス 

 
 

所在地
〒1710033

東京都豊島区高田3-30-14 
山愛ビル2F 
電話:03-3989-9961    
FAX:03-3981-5318
 

 

概要
設   立:1988年
資 本 金:1000万円
取引銀行:三菱UFJ銀行高田馬場支店
      みずほ銀行高田馬場支店
      りそな銀行池袋支店
 
 
所属団体
JIDA(ジャパンインダストリアルデザインアソシエーション)
日本色彩学会
日本デザイン機構
日本スポーツ産業学会

 

役員

代表取締役社長 菅原義治
 取締役副社長 松浦雅彦
    取締役 清水尚哉
    取締役 與語武彦
    
 

 

業務内容

デザイン
プロダクトデザイン、グラフィックデザイン、パッケージデザイン、カラーリングデザイン
企画・調査・コンサルティング
ブランディング企画、コンシューマプロダクト企画、地域・事業開発に関する調査およびコンサルティング、デザイン企画の調査および提案、地域産業活性化計画に関するコンサルティング支援
講演・セミナー
デザイン講演、学生向けデザイン教育、ジュニア向けデザイン講習、国内外インターンシップ実施

 

 

WORKS


 
私たち㈱GKダイナミックスは、1955年にヤマハ発動機モーターサイクル第1号機となったYA-1をはじめ、数多くのモーターサイクルやレジャービークルを手掛けてきました。
長く愛されるデザインは時代を超えて定番となり、人の心に残っていきます。
そしてそれは、新しい生き方の提案にもつながっていきます。

 

ヤマハ発動機株式会社 MT-09 TRACER
市街地からツーリングまで、快適な走りを楽しめる1台
ヤマハ発動機株式会社 XSR900
“ネオレトロ”を継承、且つ新たな魅力を持つ革新の一台。
ヤマハ発動機株式会社 VK540V
厳しい自然環境の中で活躍するタフなオールラウンダー。
ヤマハ発動機株式会社 RAPTOR700R
懐かしくて新しい、スポーティなインターカラーを纏った
スポーツATVの最高峰。(北米向け)
ヤマハ発動機株式会社 YZF-R6
洗練された新しいデザインが注目の的。
MotoGP育ちの刺激的な1台 。(欧州向け)
                                             
ヤマハ発動機株式会社 Star Venture
信頼性と走りの楽しさを備え、
より快適に長距離ツーリングを楽しめるモデル(北米向け)

TOPICS


 
私たち㈱GKダイナミックスは、創始者である故・栄久庵憲司のデザインへの強い志を引継ぎ、
通常のデザイン業務に加えて、デザイン運動、デザイン研究を推進しています。
TOPICSは、弊社が関わるデザインのアクティビティを知っていただく場所です。

 

 求人案内 
  

現在、採用活動は行っておりません。採用ある場合は随時告知いたします。 
 
 

 

 
 

 
 
 

 

GK Dynamicsをまじめに楽しむ
 

  デザイナー達が「放課後」に創ったモノや楽しんだコト、デザイナーの目を通して視る日々、HPのスケッチの製作コメント等を各SNSで紹介しています。

 
 


 
 
 

デザインセミナー
 

現3月上旬に予定しておりましたスチューデントセミナーは、新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止いたしました。

COLUMN


日々是デザイン、日々我デザイナー、
デザインする事が当たり前の人達がふと考える、 様々なコト・ヒト・モノ・アレコレ........
*不定期に更新します。

 

 プロダクトデザイナーの独言

 

ソーシャル アクセプタンス
 
最近、バイクを含め世の中レトロブームですね。我々の業界ではヘリテージMC(モーターサイクル)と呼び、ヤマハ発動機さんのSRやXSRシリーズがそれにあたります。デザイン的には落ち着きがあり、大人も満足できる普遍性が魅力。ヤマハ発動機とGKが得意とする世界観であります。
 
そんなヘリテージMCの開発に携わり、今のバイクカルチャーの大きな変化を体感しながらGKもデザイン開発を担当させて頂きました。XSR900はGK Dynamics担当、そしてXSR700とXJR1300Cのデザイン開発はオランダにあるGK Design Europeが担当でして、私も駐在員としてオランダに6年間滞在し、現地開発メンバーとともに調査、デザインを行ってきました。
 
その活動において特に印象的だったのがこの「Social Acceptance」。デザインから感じる「古き良き普遍性」以上の強い魅力としてこのブームに沈在している要因でした。日本語で簡単に説明すると「社会に受け入れられるということ」。もう少し具体的に言うと、「自分ではなく、周りの人々から『いい趣味をお持ちですね!」と笑顔で接してもらえる存在であるということ」だということです。
 
操縦する楽しみ、スピードへのあこがれ、マシンへの愛情といったように、モーターサイクルはついついライダーの自己陶酔の世界が主役となりすぎる場合があります。危険、騒音、暴走、反社会的といった悪い印象で外から見られている場合もあるということを少し蔑ろにしないとモーターサイクルの存在感が保てなかったというのが実際のところでしょう。この状況は熟成したモーターサイクルカルチャーを持つ欧米でも同じでした。
 
そんなMC文化の中、DEUSをはじめとしたアパレル業界がMCを取り入れファッションとしての意味合いが増し、またWheel & WavesのようなヘリテージMCを取り込んだイベントが各所で開催され、人とのつながりと場のムードを楽しむ社交性に注目が集まりました。これらがヘリテージMCカルチャーとして急激に開花し、現在も継続されています。MCに乗らない人間から見ても素直に魅力的なコンテンツと、同時に上質なライダーたちの立ち振る舞いにより、ソーシャルアクセプタンスが向上。その動きを一早く取り入れたメーカーがブランドを築けている時代と感じます。
 
一昨年前あたりから、日本でも同じムーブマンスが各所で起こっています。そして、これら活動の企画者はファッション業界やプライベーターの若いライダーたちであるというのもユニークです。トレンドに敏感で、SNSをスマートに使いこなす彼らの動き方はとても刺激的で、MCを絡めながら集い楽しむことを求めている新世代ライダーがMCの社会性を高めてくれそうな気配を感じます。
 
最後に、先日あった少し面白いお話。
現在私は東京都内のマンションに住んでいて、大型バイクを2台保有しています。天気のいい週末はバイク置き場で簡単なメンテ等をしたいなと思うのですが、隣人の方々がどのように思われるか心配でして、出来る限り短時間で作業するようにしています。ですが先日、どうしても少し整備しなくちゃいけないことがあって、息子(4歳)との遊び相手とメンテの両立として、彼と一緒にバイクを整備することにしました。
 
すると、普段では全く起こらないことが、、、
 
なんと、同じマンションの住人数名から声をかけられました。
「大きいバイクね、お父さんすごいね。」
「お父さんのお手伝い?頑張ってね。」
「これなんて言うバイクですか?いいですね、息子さんと。」
 
息子の効果絶大と思いながらも、これこそソーシャルアクセプタンスを作り出す次の手か!?!?このあたりを分析しプロモーションに展開すれば芽があるんじゃない!?!?と感じだ次第です。
 
おしまい。
 
(プロダクト動態デザイン部 ジェネラルマネージャー 清水芳朗)
 
 

 
CMFGデザイナーの独言  

 

二輪CMFGデザイナーが創るもの
 
「たぶん我々、二輪CMFGデザイナーがいなくても、世の中に困る人はいないと思います。けれど仕事をしていて分かってくるのは、自分の仕事がどこかの誰かの生活を楽しく充実したものにしたり、刺激的な冒険にしたり、豊かで喜びに満ちた気持ちにしたりしているんだということ。きっと我々が創っているのは、そういった人々の暮らしであり、街の風景なんだと思います」
 
これは大学生を対象とした二輪デザイン公開講座で講師プロフィールに書いたメッセージです。決してネガティブな発言をしたわけではなく、「CMFGデザイナーの自分が作っているものは一体なんなのだろう?」と言う問いを、自分なりに学生に伝えようとしたものでした。ごく簡単に自分達の仕事を説明すると「モーターサイクルの色やグラフィックを考えたり、ロゴを作ったり」なのかもしれません。けれどそれは一つのわかりやすい成果物であり、私たちの作っているものはもっとその先にあるのだと私は思います。
 
私がそう思うようになったのは、CMFG業務を通しての経験からに他なりません。これまで主にASEAN地域を担当することが多かったので、タイには2年駐在し、インドネシア、ベトナム、マレーシア、フィリピンには何度も調査に足を運びました。モノが使われている場所へ実際に出向き、実際のお客さんに会い、生の声を聞き、フィードバックする。シンプルですがそんな一連のサイクルを担当デザイナーがまるっと体験できる機会は貴重です。
 
生活必需品として、年収ほどの金額のモーターサイクルをようやく買って「このバイクを買うのが夢だった。嬉しすぎて一緒に横で寝ている」という愛に溢れた話を聞いたときには、思わず笑みがこぼれました。道路環境も国によってバラバラです。日本人からすると相当に眩しい色合いのモーターサイクル達が、己が道路の主役と言わんばかりに、我が物顔で縦横無尽に駆け回る国も少なくありません。小さなモーターサイクルもそれだけの数が集まると、もはやその街の景色。つまりは建築物のような大きな存在ではなくとも、自分たちの仕事は街の色・街の風景をも変える大きな影響力を持っているような気がしたのでした。
 
さて彼の地、気温40度。道路は舗装されておらず、少し赤い土の色。土埃は舞うし、マスクは必須(小物はキャラクター物大好き)。人々の肌は褐色。道路脇の露店やバスの色は極彩色なのに、服の色は意外と黒が多い(暑かろうに)。朝夜の渋滞は最悪、車通勤は往復4時間。避けるために通勤にも使うから周りからはみ出して見えるのは嫌だけど、普通なのはつまらない(人はわがまま)。週末は都会の空気汚染から脱出するために友達と山に洗肺ツーリング。往復200km(バイタリティー!)。
 
そんな一見妄想のような異国の誰かの暮らしを、足を運んで得たリアルな体験で補いながら、私たちは日々デザインで紡いでいます。
 
(CMFG動態デザイン部 ユニットリーダー 永井智)
 
※一般的にはCMF(Color, Material, Finish)と称しますが、GK Dynamicsでは意図的にCMFG(+Graphic)を掲げています。

 
 



   
のりものがたり

 

「ヤマハ発動機の初号機YA-1」
 
 
 
「やらまいか魂の開発」
 
楽器会社が最後発でなぜ2輪事業に参入したのか。戦前にヤマハは航空機プロペラの6割程を製造していたが、終戦のおりにその機材が封印されます。その7年後、航空機産業は封を解かれて、その機材を活用すべく、新たな事業を模索。その結果、白羽の矢を立てたのが2輪事業でした。参入に際し、参考車両から学ばない例は海外でもありえません。範としたのはドイツのDKW(現アウディ)のRT125です。ヤマハの川上源一社長の参考車を見抜く目がその後の軽量スリムコンパクトのヤマハらしさに繋がりました。RT125は世界で最も多くコピーされたことでも有名なモデルです。戦後、ドイツはこの名車の図面を戦後賠償として無償提供していましたが、ヤマハもそれを出発点としました。しかし、ヤマハの目指したものはコピーではありませんでした。技術的には3段変速を4段とし、日本初のプライマリー同軸キックに変更するなど、随所にベースモデルであるRT125とは一線を画す創意工夫を行いました。ヤマハ発動機本社の展示パネルにはその史実が記されてます。
 
6月28日、DKW RT125をベースモデルと決定。
 
7月12日、東京芸術大学小池教授と学生6名がヤマハ本社を訪問。 デザインを開始。
 
8月11日、車体色をマルーンとアイボリーに決定。 音叉エンブレムを七宝仕上げに決定。
 
8月29日、エンジニアと徹夜で作業、ついにエンジンの爆発音が響く。
 
この驚くべき4行の記述を見るとタイムスリップし、行間から立ち上がった男たちの姿が浮かびます。これを見たとき、同じ開発をしている身として先輩達の脅威の行動力と熱意に思わず立ち尽くしました。初の2輪開発、開始から僅か2ヶ月でエンジンに火を入れた男達のやらまいか精神(注1)に脱帽します。
 
「川上源一とGK」
 
デザインでも川上源一は海外視察でその重要性を見抜き、ピアノのデザインを東京藝術大学の小池岩太郎教授と学生6人からなる「GK」に依頼しました。「GK」とは「Group of Koike」の頭文字からとった組織名称で、後のGKデザイングループへと発展していきます。「つくるなら、世界の一級品たれ」という川上社長の心意気と「日本にインダストリアルデザインを」との熱い志士たちの思いが結実した、必然の出会いであったと言えるでしょう。榮久庵憲司や岩崎信治をはじめ、最初期のGKメンバーは初のモーターサイクルデザインのために浜松に篭り、一気にデザインを仕上げました。
 
「私とヤマハを結んだ川」
 
私には路上で走るYA-1の記憶はありません。YA-1が市場にデビューしたのは私が小学校に入学する前年なので、無理もありません。そのころ岩手県盛岡市から長野県岡谷市に引っ越し、近くの諏訪湖の水門から放流される天竜川を眺めるたびに「この水は何処に流れ行くのだろう」と空想を巡らせました。今振り返ると、まさにそのタイミングで下流の天竜川沿いの日本楽器工場で開発試作が行われ、天竜川河川敷ではテスト走行が行われていたのです。天竜川の起流で育ち、その終流の地で後世仕事をすることになろうとは、一本の川の流れに宿る運命を思わずにはおれません。全く余談ですが、初ヒッチハイクを始めたのも天竜川沿いでした。縁を感じます。
 
「いきなりレース参戦」
 
3速から4速に新設計したのは賢い判断でした。当時は「実用の時代」であるにもかかわらず、すでに「次代の乗る愉しさ」を見通しています。実用の移動具に愉しみの要素であるミッションの付加をすでに理解していたのです。4速にしたゆえに、生まれながらの駿馬となったYA-1は、当時日本最大のレースであった第3回富士登山レースに参戦優勝し、一躍脚光を浴びます。続く浅間高原レースでも1~3位と表彰台を独占し、その名を馳せました。発売して間もない初号機がレースで優勝を飾るというブランドは世界でも類例がありません。今に至るレースのヤマハ、スポーツのヤマハの誇りの血統のはじまりであり、神話のはじまりでもありました。
 
「ヤマハカラーセンスの胎動」
 
当時の国産車は自動車輪も自転車も含め黒一色。よく言えば高級志向ですが、実用の泥と埃にまみれるために、無難に黒をというのが実情です。私事ですが保育園卒園式の同じ月にヤマハは2輪開発を始めます。写真を入れたのは足元に注目して欲しいからです。戦後の貧しい地方で、精一杯の一張羅に合わせるには不釣り合いな長靴、それに付いた泥が、当時の道事情を物語ります。全国の都会から外れた道は、国道ならぬ未舗装の酷道でした。欧米では戦後、道路はきちんと舗装され、時代の高揚感から車体には明るい色彩を用いた2トーンが採用し、一世を風靡していました。舗装率の違いがカラーにも影響を与えていたのです。YA-1は細部にも拘り、高価格モデルでありましたので、当時の常識からいえば、高級車として黒が採用される筈です。しかし小池岩太郎教授はYA-1は「栗毛の駿馬である」とお題を与え、学生たちはカラーイメージを膨らませていきました。教授は物語の文面の行間を読むかのような示唆を学生に与えたのです。結果、YA-1はマルーンにアイボリーの2トーンが採用され、競合他社が黒一色の中で鮮やかな存在感を放ち、その俊敏さから「赤とんぼ」の愛称で呼ばれ愛されました。数ある国産車の歴史で、色のニックネームが付いたのはYA-1だけです。シートとハンドルグリップにはグレーの樹脂が施されるなど、と世界を見渡しても突出しており、もはやDKWとは別物です。ヤマハのカラー&グラフィックのセンスの良さ、お洒落さは創業以来の血統なのです。


 
「先見の知見」
 
デザインの完成度の高さは本家DKWと比べても一目瞭然です。全体のシルエットは軽快でスポーティであり、以後のヤマハデザインの血統を方向付けました。ディテールにいたる造形力の高さは、撮影した写真のように群を抜いていて、同じDKWをコピーしたハーレーダビッドソンや英国のBSA、ロイヤルエンフィールドなどに比べ、そのデザインセンスの高さと日本らしい気品は品格さえ感じさせます。誇らしい限りです。ここにはヤマハデザインの誕生とそのルーツがあります。大企業とフリーランスのデザイン会社との類例のないコラボレーションもここから始まりました。
 
組織と企業の枠を越え、技術とデザインが対等に真摯に向き合い、闘い切磋琢磨する。技術とデザインはどちらも創造行為です。YA-1とは、ヤマハらしい人間味溢れるモーターサイクルのデザインの美しさと創造の土壌を生み出した原点なのです。
 

 
(フリージャーナリスト 一條厚)
 
(注1)「やらまいか」とは「やろうじゃないか」や「しましょうか」という遠州地方の方言。遠州人の「あれこれ考え悩むより、まず行動しよう」という進取の精神を表す。
 
GKデザイングループ