column 日々、思うこと separate

2024.03.11

コラム

未来が素晴らしい、なんて誰が決めた?

ここ最近始まった話でも無いですが「デザインの力で素晴らしい未来を!」みたいな論調があります。素晴らしすぎて反論の余地がないのですが、そもそも「未来や進歩とは素晴らしいものであるという思い込み」がそこにはあるのではないでしょうか?

良かったのは古代、これからの末法の世では悪くなるばかりだから殊勝に心がけようぜ、というのがかつて洋の東西を問わない宗教的考えだったのが、啓蒙時代〜マルクス主義あたりから、未来ってのは良いに決まっている、という事になった様です。でもこれって500年にも満たない最近の話です。

「未来=素晴らしい」という妄信の下にそれを免罪符とし色々やりすぎているのが今の人類ではないでしょうか?便利発明は不可逆的なもので止めるのは自転車の乗り方を忘れろ、というくらい難しい事ではありますが、不便だが楽しかった子供の頃を思い出すと少しくらい退化した方が実は幸せなんでないか、なんて最近思ったりします。

と言う訳でデザインの力で具現化すべきは何も「素晴らしい未来」だけに限らない、退化の中に人間存在の復権を見出すのもまたアリなんじゃないか、なんて思う次第です。

( CMFG動態デザイン部 シニアディレクター 渡邊拓二 )