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2024.02.26

GK Base Salon

GK Base Salon Vol.10 2024/02

弊社と親交のある方をお招きし、創発スペースでお話しを伺うGK Base Salon。今回のゲストは、美術作家の深堀隆介さんにお越しいただきました。深堀さんは金魚をテーマにした作家活動をされており、これまでにも数多くの展覧会が開催されました。

今回は、大学時代の同級生である渡邉拓二シニアディレクターの進行で、創作活動に対する考えについて伺いました。また、当日は普段から交流のあるverox.さまはじめ、GK社員以外の方にも参加いただきました。その模様を2回に分けてお伝えします。

<渡邉>

—— 本日は講演といったスタイルではなく、カジュアルな形で進めていければと思います。いくつか我々の方でテーマのお品書きを用意しましたが、どのテーマから話していきましょうか。

<深堀>

全部行きましょう(笑)。

金魚の話をテーマにすると止まらなくなるのですが、私の活動の核は金魚なので、そのテーマからお話しします。僕は、渡邉さんと同じ大学でデザインを学んでいたのですが、外部のディスプレイ会社さん等でアルバイトをしていると、そこには彫刻を学んでいる人や、作家さんなど他分野の方と交流する機会がありました。そうした方との交流の中で、僕も作家になりたいという思いが強くなりました。26歳の時、意を決して作家としての作品づくりを始めました。当時は、何かを作りたいという思いが強いだけで、評価されることはありませんでした。

一方で、僕は美術科ではなく、デザイン科出身だったので、作品に対して客観視することが出来ました。それが良くも悪くも中途半端になっていた理由だと思います。作りたいものを作ってそれで生きていければ幸せだけど、うまくいかない悶々とした時期が続き、もう作家活動を辞めようかと思った時に、家で飼育していた金魚が目に入りました。

僕の中で、魚はとても大きな存在でした。大学での卒業制作はじめ、何か心の中にいる魚をずっと創作していたのですが、それが何か分らないまま時間が経過していました。まさかそこで、自分がずっと一緒に暮らしていた金魚とつながるとは思っていませんでした。金魚が大切な存在だと気づくまで7年経っていました。また金魚という存在が、いつの間にか人間の生活の中に入り込んでいることにも関心が湧いていました。

—— 金魚は人工的だしね。

元々は鮒だった魚が、長い年月を重ねて進化している。しかもこんな身近に存在していることが、実は奥深い存在なのではないかと思うようになりました。そこで考え方が変わって、金魚を描いてみようと思うようになりました。描き始めると楽しくて、徐々に手応えを感じるようになりました。

自分自身のことを「金魚絵師」とはあまり言ってなくて、色々な作品を作りながら金魚の作品も制作していたら、いつの間にか金魚の作品が一人歩きしていった感じでした。

—— 深堀さんの金魚作品の模倣品も出てきましたよね。

模倣品が出てきたのは、作品が世に評価され始めてからでした。制作当初は騙し絵的な作風で作っていましたが、まだ自分の技法というものを確立しているとは言えませんでした。   

一方で、色々な展覧会に足を運ぶと、それぞれの作家さんが自分の技法を持っている。自分は何をすべきか、誰もやっていない技法が欲しいなと思っていた時に、以前工房で働いていた時の樹脂の経験が大きなきっかけになりました。

ある時、半分だけ残っていた樹脂があり、その樹脂に描いて、さらに上から樹脂を流し込んで次の日に確認したら、絵の具が溶けずに綺麗に固まっていました。まさに金魚が泳ぎ出したような感覚を抱きました。その技法の良かった点は、金魚のヒレを薄く描ける点や、体の透明感を描けることでした。金魚というモチーフがまずあって、その上で積層による表現を思いついたので、結果として相性の良い表現に至りましたが、積層による表現ありきだと、おそらく違ったモチーフを描いていたかもしれません。最初の頃はウロコやヒレも上手く描けませんでしたが、粘り強く制作していく中で徐々に上手く表現できるようになってきました。

—— 人工物の桶や枡もポイントなのかなと感じます。自然の中のものというよりは、自然と人の世界の中間にあるものが、うまく調和させていると思います。おそらく普通の魚、例えばサバだとこんな感じにはならないように思います。

最初の頃、私の作品を見たお寿司屋さんが、お寿司のネタ用に作ってくれないかとお願いされたことがあります(笑)。

—— それいいじゃん(笑)

テレビで紹介された作品をそのお寿司屋さんがたまたま見てお願いされましたが、お寿司のネタになるような魚は描ける気がしなかったんです。泳いでいるイワシってあまり見たことがありませんでした。水族館だと見ることも出来ますが、クロダイとかだとサーッと泳ぐのであまり印象に残っていなかったんだと思います。

—— 魚屋で見るサイドビューのイメージしかないですね。

どこか陳列した魚のイメージが強くて、うまく描けそうな気がしなかったんですよね。そこであらためて、金魚という存在はなんだということを考えるようによって、金魚を通して人間を表現したいと思ったんです。地球は広いと思っていたけど、地球からは簡単には出られない、実は金魚と人間には共通する部分があるのではないかなと考えるようになりました。

—— 確かに、自分たちも金魚鉢で暮らしてるようなもんだよね。

そうですね。そこで、金魚を描くことで人間を描いてみたいという考えになりました。

先ほどお話ししたアートとデザインの中間を狙っているというのは「金魚酒」という作品の存在に似ていると思います。ファインアートのような性格もあり、デザインされている部分もあり、ちょうど中間といった印象を持っています。

—— 西洋のコンセプチュアルアートなんかの場合、重厚に考えられているのは分かるけど、では実際に綺麗と思うか、欲しいと思うかといった感覚とは異なるように思います。深堀さんの作品は、ファインアートとプロダクトデザインの中間あたりに存在するように感じます。

まさに、そこを狙っています。僕はその象徴が水面だと思っています。水面が我々人間と金魚を分ける存在だと思っていて、お互いに空気中と水中では生きていくことができない。金魚から見た空気中、人間から見た水中はそれぞれ怖い。

昔観た映画ジョーズは、その世代ということもあって怖くてしょうがない。向こう側の水中には恐怖である一方で、畏怖の念や、自由に泳いでみたいという憧れを感じています。最初は水面に絵を描いていましたが、その水面にさらに樹脂を流し込んで描きながら積層にする。またその樹脂に絵を描いていって、金魚が水中にいるように表現する。さらに樹脂で水面を作っていく。すでに積層してしまった面には作家自身でさえも手直しで描けない世界になっている。デジタル作品だと手直しは可能ですが、戻れないというその感覚が、今の時代にマッチしているのかなと感じます。コマンドZで戻れない、完璧と思われる状態とは違った後戻りできない儚さというものが人間的であり、求められているのではないかと思います。

—— そういう感覚が求められているというのは自分的にも感じていて、毎日コンピューターで仕事している中で、たまに絵を描こうとすると、筆で一発勝負という感覚がすごく楽しくて、描き上がったものというよりもその描いている、紙を筆で擦っている瞬間がいいという感覚になります。

鉛筆で描くことが多いのですが、その感じがiPad等でのデジタル表現とは違って自分らしい表現ができます。何か自動補正されないような表現を、自分自身も見てみたいと思うんです。

—— ライブペイント等の活動も行なっているようですね。

会場でのライブペイントを始めた当初は、思い出したくないほど失敗したことがあります。足を運んでくれたファンの方の前で2時間ほど取り組んでもなかなか上手く表現できなくて冷や汗が出たこともあります。「これで完成です」って言って終わった瞬間に、微妙な感じでパチパチと小さな拍手で終わったり(笑)。

最初の頃は自分のエネルギーを出さなきゃいけないという思い込みもあって、「ウォー」とか叫びながら描くパフォーマンスを行なわなきゃいけないもんだと思っていて。そうすると観衆がひいてしまうじゃないですか(笑)。ちょうど呼ばれたイベントが着物関係の会で、他のワークショップは「紐で作った作品」といった上品な催しだったので、すごい熱量で作品を描いた自分は本当にドン引きされて(笑)。でも目の前の一人の男性だけが涙を流しながら拍手してくれていました(笑)。「君に届けばいい」とその場では思ったんですが、これではいけない。やっぱり楽しませなければいけないというデザイン的な客観視する自分が出てきました。

昔はディレクターのような方から、「深堀さん、正座の状態から刀のように筆を出して、そしてパフォーマンスを始めてください」って言われて。「いやです。そんなこと出来ないです」と言っても断れなくて、実際にその通りやってみると無理しているのが表れるんです。そうした失敗から、最近のライブペイントでは喋るようにしています。最初から「緊張しています」って話すと緊張が解けたり、失敗しても「失敗しました、直します」って正直に言うようにしています。そうした喋りながら描くスタイルは水森亜土さんが最初かもしれませんが、「今日こんな食べ物食べたんです」とか言いながら描いて、最後は集中して仕上げていくというスタイルに固まってきました。

*2014年のTDW(東京デザインウィーク)でのライブペインティング

 

—— デザイナーも同じような振り付けを求められるところがあって、こういう髪型でこういうメガネだったらもうこれはデザイナーだろうという(笑)。

今日最初会った時に、普段と格好が違うから気がつかなかった(笑)。

—— でしょ。こういう格好をしているとデザイナーっていう感じで信用されるところがあるけど、よくよく見ると、デザイナーのコスプレをやってるみたいなもんだなってところもある。この境界って結構微妙だと感じます。

写真家の人に「顎に手を当てたポーズをとって下さい」って言われることも多くて、「ええー、これ要りますか?」って。でも大体その写真が採用される(笑)。

—— 世間から求められるパブリックイメージってあると思うので、特に金魚をテーマにしている作家さんとなると、どこまでそのイメージに応えるかというのは課題なんでしょうね。

先ほどのディレクターの方や、写真家の方の要望にどこまで応えるかということは大変です。それに応えなきゃという自分もいるし、本来の自分もいる。

デザイナーもクライアントの要望に応えなければならない場面もあるけど、そんなのやりたくないという場面もあるんじゃないですか。そんな時どうされているんですか。

—— 自分を殺すしかない(笑)

僕なんかは出来ません、といって断っちゃう。

—— この会社は比較的自由なので、毎日ジャケットを着ていないとダメなんてことはないです。昔はね、GKもあったんです。だらしないTシャツを着ていると「ちょっと君、君」って。当時はデザイナーのパブリックイメージみたいなものがあって、会社も意識していた部分もあったんだと思うけど、最近は流石にそういったことはないです。なので、今日参加している若いデザイナーの人たちもそういう感覚はないと思います。みんな自由な感じだと思いますよ。ちょっと話も行き詰まってきたので(笑)、違うテーマで話を進めましょう。

次回に続く。

 

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インタビュー : 渡邉拓二

記事:井上弘介

写真撮影:川那部晋輔

全体サポート:竹田奏 / 加藤美咲