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2022.05.02

GK Base Salon

GK Base Salon Vol.2 2022/05

初回に続き、車いすテニスプレイヤーの眞田卓選手にお話しを伺います。

今回は眞田選手と関わりの深い青木省吾氏(執行役員)、坂田功氏(シニアディレクター)のGKメンバー2名との対談形式で、これまでの活動についての振り返りと、今後の展望について伺いました。

—— 最初に、眞田さんと青木さんの接点からお聞かせください。

青木氏 う〜ん、金子さんに騙された感じかなぁ(笑)。2014年に柏市で開催された全日本マスターズをGK社員で視察した際に、金子さんが「一目惚れだよ」って。その後スポンサー契約させていただくことになってすぐに、「オレ、アメリカ行くから」って金子さんが出向になり、引き継ぐことになりました。当時計画していた日程はとてもタイトでした。1年後には車いすとラケットと義足が出来上がっているという内容(笑)。眞田さんは海外を転戦していて日程が合わないことも多く、どのような活動を行うかを含めて内容を見直すところから始めました。

まずは自分達も車いすテニスを知るところから始めようと、2015年に福岡で開催されたジャパンオープンを視察しました。その後、車いすテニスの課題を、眞田さんご自身と、外部からの視点でまとめていく作業を行いました。

—— そういった関係からグッと距離が縮まったのはどのあたりからですか。

青木氏 ロゴのデザインかな(笑)。苦悩のロゴデザイン(笑)。

眞田氏 本当にそう思います。ロゴのデザイン案を出してもらって、う〜ん、全部選べないなって(笑)。そこから、当時社長だった一篠さんからも選び方のアドバイスをいただいて、少しずつ前進した形でしたね。

青木氏 眞田さんとの活動を行なっていく中で、障害者スポーツを盛り上げる、という目標を設定しました。パラスポーツに対してデザインで貢献したいという考え方です。結果としてはその考え方が活動に広がりを持たせることになりました。

通常だと、用品のデザインがメインになりがちですが、車いすテニスを盛り上げるために何をすれば良いかという考え方なので、例えばコートに映えるための色は何か、ロゴのデザインは何かといった具合に発想が広がりました。義足カバーもコートで映えるという機能を持っています。従来の進め方とは違ったアプローチで取り組めていると思います。

 プレイ自体が面白いことは、実際に目にする機会があれば分かってもらえます。でも機会自体が非常に少ない。注目される仕掛けとして、ロゴがあって、色があって、カバーがあってという、車いすテニスに触れられるきっかけづくりとして、デザインで貢献できることを考えました。

—— 次に眞田さんと坂田さんの接点をお聞かせください。

坂田氏 活動が始まって1年ほど経った頃、モノ作りの段階になると活動が少し停滞していたようでした。その頃に、青木さんと一緒に柏市で行われていた車いすテニスの大会を見にいき、その1ヶ月後には眞田さんと一緒に忘年会を行なっていました(笑)。武蔵浦和の居酒屋でスケッチチェック(笑)。チームカップに向かって一気に盛り上がっていきました。

—— チームカップはどのような大会でしたか。

 眞田氏 2016年5月に有明テニスの森で開催された国際大会です。

青木氏 その大会で、日本チームは準優勝の成績をおさめました。我々もすごく盛り上がって、その盛り上がりのままリオ五輪に向かっていった感じです。

坂田氏 リオ五輪までには、注目されるような状況にしておきたかった。そのため、チームカップの時には義足カバーが登場している時間軸でデザインしていました。

眞田氏 義足カバーは出来上がるのが早かったですよね。確か2015年の忘年会でスケッチチェックして(笑)、その2ヶ月後には3Dプリンターで出来上がったものを試し履きしていました。ただ、海外での大会参加が多かったので、履いてみて、また海外に行ってということを繰り返していましたね。

 

—— そのリオ五輪から東京五輪に至るまでに、活動を取り巻く変化はありましたか。

眞田氏 パラスポーツが、「魅せるスポーツ」に変わっていったのは間違いありません。見どころがスポーツだけでなく、個のキャラクターがフォーカスされるようになったのは大きく変わった点ですね。

ロンドン五輪はパラスポーツを知ってもらう大会。リオ五輪では競技の面白さやスポーツとして評価されていった大会。そこから加速する形で東京五輪ではパラリピアン自身の個性に注目が集まるようになりましたね。

—— パラリンピックを目指す当初、眞田さんはご自身で事業計画書を会社に提出したそうでしたが、この活動自体についても、事業計画のようなものはありましたか。

青木氏 当初の障害者スポーツを盛り上げたい、という考えからはぶれていません。活動の過程でクラウドファンディングも行いましたが、単にプロダクトを世に出したいという目的ではなく、ファンドを通して車いすテニスを知ってもらい、応援してもらえる。そういった意図は当初からずっと変わっていません。

坂田氏 GKの取り組みの中で言うと、眞田さんとの活動を始めた頃に、今のDXDユニット(Digital Experience Design Unit)の必要性を社内で検討し始めました。眞田さんとの取り組みを題材とさせていただきながら、解析やモック作成などを行ないました。結果として、社員のスキル向上につながっていきました。

—— そう考えると、GKも眞田さんを通して色々なことができるようになり、眞田さんもデザインを通して機能性の向上やアピールができている点で、お互いにとって良い関係が築けているのでしょうね。

青木氏 デザインの実験の場として、普段できないことをトライさせてもらっていますね。

坂田氏 社員のトレーニングの場も兼ねていますし、新しいことを次々に行なってきました。眞田さんとの活動を通して確実に自分達の実力値が向上していることを実感しています。

—— 今後に向けての抱負はありますか。

眞田氏 これまでの活動では、偶然とひらめきが形になっていきました。ロゴができてカバーができて、ニーグリップではベニヤ板から始めてアルミ製にまでなりました(笑)。当初からの共通した想いは、パラスポーツを通して社会に貢献したいということでした。その想いは大きな幹として存在していて、そこから枝分かれしながら成長し、花を咲かせていく。その幹にあたる社会への貢献という想いはぶれることがないでしょうね。

青木氏 大きな最終ゴールを設定して、ゴールだけに向かって進めていくという活動ではないと思っています。社会への貢献という大きな方向性の中で眞田さんと一緒に面白がって取り組んでいく、そういう活動だと思います。

坂田氏 このプロダクト(上写真)も会社のメンバーが自ら手をあげて主体的に作ったものです。また、眞田さんが装着していた義足カバーを見て、自分達も義足カバーを作ってみたいという外部の人達も現れています。そういった意味で、撒いた種が様々なところで実ってきている実感があります。

眞田氏 狙い通りじゃないですか(笑)。

活動当初から、我々の発想や取り組みが発展して一人歩きしていけば良いということを話していましたよね。種が実って、車いすスポーツを盛り上げたり、障害者への理解を促進させるというところにつながっていけば良いと思います。

インタビューは終始和やかな雰囲気で行われました。紹介できないこぼれ話もたくさんありますが、それだけ眞田さんとの共創が良い関係性の中で実施できているように感じます。インタビューに対応いただいた眞田さん、青木さん、坂田さん、ありがとうございました。

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インタビュー 記事:井上弘介

写真撮影:川那部晋輔

全体サポート:菊地創