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2022.04.01

GK Base Salon

GK Base Salon Vol.1 2022/04

今年度からGK Base Salonを開催します。この試みは、弊社と親交のある方を創発スペース(GK Base)にお招きする取り組みです。

初回のゲストは、車いすテニスプレイヤーの眞田卓選手です。眞田選手はロンドン、リオ、東京とこれまでに3度のパラリンピックに出場されています。弊社では、眞田選手の活動を2015年からスポンサードさせていただきながら、パラアスリートに関わるトータルデザインを共に実践してきました。今回は、これまで眞田選手と一緒に歩んできた活動について振り返ります。

—— 車いすテニスを始めたきっかけからお聞かせください。

栃木県の那須塩原市で育ちました。その後、モータースポーツ関係への進学を目指し、埼玉に生活の拠点を移しました。その頃に交通事故に遭いました。19歳でした。事故にあった当初は、今後どのように生活すれば良いか先行きが見えない中で、埼玉県のリハビリ施設でリハビリを行っていました。そこで車いすバスケットを見学したことをきっかけに、知り合いになった方を通じて車いすテニスの世界に入っていきました。もともと中学高校とソフトテニスの経験があったので、趣味として車いすテニスを行なうことにしました。

—— 当初から車いすテニスでパラリンピックを目指そうと思っていたのですか。

車いすスポーツを始めた目的の一つに、障害者コミュニティに入りたいという思いがありました。自分が障害者になった当初、どのように生活していけば良いか、どのように社会にとけ込んでいけば良いか不安が大きかった中で、コミュニティでの情報交換は、日々の生活にとても役立ちました。月に1、2回ほどのペースで、趣味として車いすテニスを行なっていました。

すると25歳の時に、パラリンピックを目指すことになる転機がありました。当時働いていた会社からの働きかけもあり、パラリンピックに出場するための事業計画書を作成しました。それまで事業計画書を書いた経験もなかったので、最初にA4用紙一枚で提出したところ上司からダメ出しされました(笑)。その後、コンセプトや社会に対する影響、目標設定や予算など、何度も計画書を練り直し、真剣にパラリンピックを目指すことになりました。

—— 自分自身を事業として計画書にするというのはすごいことですね。

目標を設定した上で、自身が計画的に取り組んでいくことはとても貴重な経験でした。25歳当時は、まだ国際ランキングを持っていない時期でした。パラリンピックの選考基準は国際ランキングだったので、パイオニアである国枝選手や齋田選手にアポイントをとって、出場する試合やランキングなど、様々なアドバイスをもらいながら取り組みました。

2011年からパラリンピックを目指し、国際ランキングを10位にまで上げて、2012年のロンドンパラリンピックへの出場が叶いました。これもひとえに、周囲の理解が得られて取り組めたことが一番大きな要因だと感じています。本当に周囲の人達に恵まれています。

当時は人生のプランになかった足を失うという出来事があって、とても不安で危機感を抱いていました。ですので、どんなことでも一生懸命取り組まなければ、ということを考えていました。

—— GKと接点ができたのはいつ頃でしょうか。

2014年の全日本マスターズの後に、GKの金子さんから連絡を受けました。当初、デザイン会社から連絡があった時には何かの間違いじゃないかと思いました(笑)。私の知る限り、デザイン会社と一緒に活動している車いすテニスプレイヤーは聞いたことがなかったので、とても驚いたことを覚えています。スポーツメーカーや航空会社といったスポンサーはどのような支援内容になるのか想像できますが、デザイン会社のスポンサードは一体どのようなことになるのか全く想像できませんでした(笑)。

当時金子さんからは、ユニバーサルデザインの考え方や多様性が一層重視される時代を迎えるにあたり、パラスポーツを通して社会に貢献したいという話を伺いました。その点で私の考えと一致したところが大きく、一緒に歩んでいくことを決めました。

—— 一緒に歩んでいく中で、GKの特徴を感じたことはありましたか。

当初、あまりデザインについての認識がなかったので全てが新鮮でした。デザインに対するそれ以前のイメージは、なんとなく一人のデザイナーがこうだ、と決めているというイメージがありましたが、GKさんとは、社会課題や人体への影響、機能性といった部分を考えた上でカタチにしていくプロセスがとても印象的で、私自身もデザインの魅力にはまっていきました。ワークショップでは、複数の関係者で付箋を用いながら課題を洗い出し、整理していくプロセスも印象的で、実際に取り組んでみてとても楽しかったです。

—— デザイン案を選ぶことに苦労されていたと伺いましたが。

それまで、デザイン案を選ぶという機会がなかったので、それぞれ特徴的なたくさんのアイデアから選ぶということに躊躇しました(笑)。自分が選ぶことで、その後誰にどのようなメッセージや影響を与えるのかも分かりませんでした。毎回楽しくワークショップを行なっていく中で、デザインにはそれぞれに意味があるということを学んでいきました。

—— デザイン会社と共創していく中で、周囲の反響はどうでしたか?

反響は非常に大きかったです。単にかっこよさやおしゃれで着飾るといったことではなく、コンセプトを設定した上での取り組みは、周りの意識を高めたり、私自身のモチベーションが高まる効果がありました。そうした取り組みは周囲にとっても分かりやすかったと思います。特に、義足カバーは象徴的なプロジェクトです。結果としてはかっこいい義足カバーになっていますが、このプロダクトには色々な意味があります。見る人にも履き手にもいい影響を与える。これまでの福祉の用品ってどうしてもネガティブなイメージがありましたが、一見してポジティブなイメージを与えられる。あまり露出したくないな、といった自分自身の気持ちが前向きになって、デザインが色々な人をハッピーにさせる。履き手の人生も豊かにできる、まさにそういったプロダクトです。もちろん機能性や履き心地もとてもいいですし、メンテナンスのしやすさも備わっています。

—— 一方で、取り組みを通した課題はありますか?

モノを製作する段階では、さらにいくつかの企業や協力者が必要になるため、時間や予算が必要になってきます。新しいモノを作るには必ずそういった試練があるので、自分達の考えに賛同してもらえる協力者を増やす必要があります。

義足カバーの活動を通して大きな反響がありました。国内に限らず徐々に利用者が増えていることもその一助になったと思います。また、車いすテニス用のニーグリップユニットも様々な形で他の選手に影響を与えています。そういった意味で、既存の固定観念にとらわれない価値観を広げられたと思います。

多様性の時代にあって、車いすのデザインや義足の在り方も、障害に応じた多様なかたちがあって良いと思います。そうした時代の中で、今後も先陣を切って取り組んでいきたいと思います。

—— 今後についてお聞かせください。

パラアスリートの選手寿命は長いですし、年齢的にもまだまだ戦えると感じています。しっかりと次のパラリンピックを目指したいと思っています。そして、今後もGKさんと一緒に色々なことに取り組みたいと思っています。パラスポーツを通じて、デザインの力でもっともっと情報発信していきたいと思います。

インタビューを通して、眞田選手の言葉の中にGK社員の名前が数多く出てきたことが印象に残りました。ワークショップやデザイン案、大会での応援など、様々な場面での関係を大切にされ、一人一人の名前を覚えていただいているところに、眞田選手の人となりが表れているように感じました。

直近の予定では、5月にポルトガルで開催されるワールド・チーム・カップのメンバーに選出されています。眞田選手の挑戦をサポートできることに誇りを感じられる貴重な時間でした。益々のご活躍を楽しみにしています。本日は、ありがとうございました。

次回、後編に続く。

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インタビュー 記事:井上弘介

写真撮影:川那部晋輔

全体サポート:菊地創