column 日々、思うこと separate

2021.10.01

コラム, その他

芭蕉とバイクと

 

 

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 (芭蕉)

 

皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう、今回はこの一句から話を始めたいと思います。

芭蕉は、おくの細道を書くのに江戸から東北を経て北陸まで回り岐阜まで、とその約2400km近い行程を芭蕉は歩いて回ったわけです。でもなぜ、自分の足で歩いたんでしょう?その距離を移動するだけならば、当時のタクシーや電車的な役割でもある、駕籠で行っても良かったはずです。でも、芭蕉が駕籠で行っていたら、行った先でタイミングよく蛙が池に飛び込んだりセミが鳴いてくれたでしょうか? さらに言えば、駕籠でいきなり行って、たまたまセミが鳴いていたとしても、あの一句は生まれたでしょうか?たぶん芭蕉は、自分の五感で受け取るために、わざわざ歩いて行ったんじゃないかな、とわたしは思っています。

話は変わりますが、バイクのデザインをしているとき、そのライダーの気持ちを考えるのですが、なんでバイク乗ってるの?とカスタマーに聞くと、風を感じたいから、なんて詩的な表現がかえってきたりします。でもだいたいその後に続くのは、雨が降ると最悪なんだけどね、という話なんですけどね。雨の日の話はさらに続いて、しかもエンジンがかからなくなった、うわ、どうしようこんなところで、と、言ってる本人も盛り上がっちゃったりします。そうそう、自分もそうだな、と。ライダーあるあるですね。

なんでそんなの覚えてるんだろうと思い返すと、その困った状況になっている時の、小雨が降り始めた時の湿ったアスファルトの匂いや、横の農道から聞こえるヒグラシの鳴き声、だんだん山の向こうに消えていく日の光と、その中で少しずつ冷えていく自分の体の感覚とか、ああ、このまま動かなかったら、あのひさしですこし服を乾かそうかなとか、いや、勝手に入ると怒られるかなとか、そういった心細い思いを巡らしたこととかが自分の中に凝縮されてるんだろうと。いかんせん俳句の才能がない私には、その心情を十七音に凝縮することは出来ないのですが、その時の感覚がたしかに自分の中に残っています。

もし芭蕉が現代にいたなら、バイクに乗ってたんじゃないかな、とわたしは思っています。現代の生活リズムに馴染みながら、なおかつ風を感じる事ができる移動手段として。

そんな空想を巡らせながら、バイクに乗ってみるのもいいんじゃないかと。そのお手伝いをデザインで出来るといいなぁと思っています。
(写真と内容は関係ありません。イメージです。)

(プロダクト動態デザイン部 シニアディレクター 田村 純)

#五感  #芭蕉