column 日々、思うこと separate

2021.02.08

コラム

デザインは必要不可欠か?

 コロナ禍が始まって以降、「それは本当に必要不可欠か」という話題が多くあった。当初槍玉にあがっていたのが、密の避けられない音楽ライブや演劇といったエンターテイメント業界だ。確かにエッセンシャルワーカーの仕事と違い、人命を左右するものではない芸能や芸術は危機において後回しにされがちだ。しかし我慢の期間が長くなるにつれ、人々の「心の支え」となったのは、音楽や映像作品であったことを誰もが強く認識したはずだ。

 この間のオンライン体験が目覚ましく進化した一方で、リアルで見たい、聴きたいという強い欲求が強まったのも事実だ。美術館の空間で感じる作品、何万人もの声援と一体となり、心と体で感じる音楽フェスでの感動。これらはデジタルコンテンツとしていつでもアクセスできる時代となってきたが、その体験価値の本質は、今後もバーチャルでは手に入る気がしない。世の多くの人も、一日も早いマスク無しの「現場の体験」を渇望しているのではないだろうか。結局のところ、現代の我々の生活でそれらは「必要不可欠」なのである。だからこそ、「音楽を止めるな」このフレーズにグッときた人は多くいただろう。

 音楽に限らず、アーティストとは表現の場があってこそ、自身を世の中とシンクロさせて生業とする生き方である。ではデザイナーはアーティストかと言うと、個人的な見解としてデザイナーは「アーティスト」ではない。ただし美的な感性と、そのプロフェッショナリティーによって、世の中にあるさまざまな生活シーンを豊かにするという文脈に於いて、近い存在と言えるだろう。となれば、「デザインは危機において必要不可欠か?」という問いにも、同じ理由でやはり必要であると思いたい。

 昭和から平成という時代、デザインはモノによる豊かさを世界に広める上で、大いに価値を発揮してきた。それは発展過程の問題解決の手段として、技術と両輪となり活躍する場が数多くあったからだ。発展途上の国々で変わらずその役割を担う一方で、モノが充足している国では今日、より心の充足に対する役割を多く求められるようになってきた。それは問題解決の範疇に、エンタメのような側面が求められているのかもしれない。現在向き合っているUX(体験のデザイン)とはまさにこのことで、危機にあってその役割の大きさに気づく日々である。

( CMFG動態デザイン部 デザインディレクター 坂亀 弘志 )