column 日々、思うこと separate

2021.09.27

コラム

風化とデザイン

最近、“カラー復元された昔の写真や映像”を多く見かけます。モノクロでしか撮影できなかった時代の画像を、AI技術を駆使して半自動的に色彩復元させたもので、現代の革新的な技術に驚くばかりです。

カラー化されたものの中でも、特に写真は一見昔のものか最近のものか見分けがつかないほどのリアリティをもって復元されているものが多くあります。無論、被写体に時代を象徴するものや人が写っていればそれが“復元されたもの”と推察することができますが、逆にそのようなヒントがなければもはやいつの時代に撮影されたものかわからないほどです。

実際の色彩復元の不確実性はあるものの、失われた色彩が復元されることによって時代の距離感はぐっと縮められ、当時の世相や文化、生活の様子も、新たなイメージとしてまるで昨日の出来事のように語りかけてきます。こういった新しいAI技術の活用は、「遠い過去の出来事=モノクロ/色褪せたもの」という既成概念を覆し、新たな発見や気づきを我々に与えてくれる大変素晴らしいものだと感じます。その一方で、これまで「色褪せた表情から昔を懐古し、追想する」という人間的行為が“デジタルによって割り切られるのではないか”、そんな不安も僅かによぎります。

しばし我々がカラーリングデザインを考える際に “ノスタルジー”をテーマにすることがあります。例えば「年季を感じさせる色合い」、「色褪せた質感」、「経年で表情が変化する表面処理」というように、過去の記憶や経験則を元に、“古き良き”を現代的にアレンジします。この場合、過去のものを現代に復元すると言うより、現代のものに過去の哀愁を吹き込むというようなニュアンスですが、紙焼き写真のように“徐々に風化していく表情”はデザインを考える上で一つのヒントとなっていました。しかし紙焼き写真がデジタル写真に取って変わり、“風化しない”、“色褪せない”ことがスタンダードとなった未来では、デザインにおける時代感や経年変化的価値の在り方も今とは違ったものになっていくのかもしれないと、昨今のハイブリット画像を前に思いが巡ります。

( CMFG動態デザイン部 ユニットリーダー 田口郁也 )