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History

GKグループの創立は1952年。 インダストリアルデザインを中心に出発し、 以降、 総合的体制を整えてきました。 GKグループ各社は、 それぞれの特性を担いながら、 必要に応じて共同対応する、 機構型グループの体制をとっています。 デザイン領域の多面性=総合性とソフトからハードにおよぶ一貫性を発揮できる態勢は時代のさまざまな要請に応えるために他なりません。 海外にも拠点や協力先をもち、 国際的にも対応しています。
 
今日、 デザインの役割は、 機能を形にすることだけではありません。 私たちには、 明日を拓く「新たな価値」の創造が問われています。 多様かつ複雑な今日のデザイン活動の中で「新たな価値」を創造することこそが私たちの使命です。
 私たちは時代の変化の中で、 「社会的価値」「文化的価値」「経済的価値」において、 新たな価値を生み出す価値創造産業として活動を続けていきます。
“YAMAHA YA-1” photo by Terutaka Hoashi

  • 1950’s

    1950年代初頭、 焼け野原を照らす夕焼けの美しさは、 その荒廃のなかにあって、 若きデザインの志士達に、 取り戻さねばならぬものを気付かせてくれた。 戦後の焼け跡からの復興と再生を願う強い意志と情熱がほとばしった。 気が付くと朝を迎えることしばしば。 その誕生の場に熱い議論は終わる所を知らなかった。
     1952年「工芸にかわるインダストリアルデザインを」と唱えた東京藝術大学の学生グループは、 その意志を深く理解してくださった故小池岩太郎教授の名を冠し、 Group of Koike =GKとして出発。 「モノの民主化」「美の民主化」を標榜し、 デザインの道を歩み始めた。 広く心を開く。 多くの知識を集める。 深く想いを巡らす。 創造集団にあって、 その意味するものは、 激しい想いの交歓であった。
     1957年に有限会社を設立したGKの組織創造力の源は、 その熱情の共有にあった。 多くのコンペに挑戦した。 その時以来培われて来たチームワークの積み重ねによって、 GKの結束は次第に固まっていった。

    1950’s Project
  • 1960’s

    1960年代は、 カラーテレビ放送の開始、 オリンピック東京大会、 新幹線開業等を弾みとして、 凄まじい高度成長を遂げる。 所得倍増と輸出政策にデザイン振興を重視する国策の下、 求められるデザインの役割は増し、 ものづくりに励むデザインの世界は、 只ひたすら走り続けた。
     1960年「世界デザイン会議」の開催と相まって「メタボリズム運動」が立ち上がる。 今日本は、世界に向かって開かれねばならない。 日本のデザインは、 堂々とその主義主張を示さねばならない。
     GKはその思想の根幹をなす「道具論」を基軸に様々な提案を携え参加。 これを機に「蘇生する家具」「核住居」「装置広場」「都市住居」などの提案による「道具論」の実践的研究がスタートする。
     行政が国土・地域開発に力を注ぐ一方、 企業は、新製品開発にこぞってその優を競い始めた。 GKもそれらに対してデザイン活動の幅を徐々に広げる中、 1969年、 アポロ11号の人類最初の月面着陸を目撃しつつ、 1970年代を迎えることとなる。

    1960’s Project
  • 1970’s

    1970年、 GKが広く関わった日本万国博覧会が華やかに幕を開ける。 戦後四半世紀を経たその時、 日本の国全体が初めて笑顔を取り戻したかに見えた。 東京オリンピックの経験と自信は、 札幌冬季オリンピック開催を可能とし、 日本中がさらに沸いた。
     1973年、 通産省による日本初の「デザイン・イヤー」と共に、 東洋で初めて開催された「世界インダストリアルデザイン会議」。 テーマは「人の心と物の世界」。 栄久庵実行委員長の下、 GKはその企画・運営に深くかかわり、 国際ネットワークをさらに広げることとなる。 しかし止まるところを知らない開発行為と消費行動は、 ついに地球の怒りに触れ、 資源枯渇・環境破壊が表面化した。
     そして突然のオイル・ショック、 ドル・ショックに相次いで見舞われることとなる。 急速な右肩上がりの高度成長時代は幕を下ろし、 80年代へ移行する低成長時代の入り口をくぐることとなる。 そしてGKはその低迷する社会の新たなテーマを模索する試練の時代を迎える。

    1970’s Project
  • 1980’s

    1980年代は、 成熟しつつある工業化から情報化時代への移行転換期であった。 また東京一極集中型から地域分散型への意識高揚が起こり、 国営事業の分割民営化の実施が始まった時代でもあった。
     1985年の国際科学技術博覧会を頂点に、 OAブーム、 CATVの民間への開放など情報化時代への歩みが速度を増した。 GKは「創造産業を目指して–toward Creative Industry」をスローガンに「GK展’80」を開催する。 GKの新たな時代へ向けての方向を探すことがその目的であった。 GK各分野の新たな専門性を世に問うた「12のコンセプト」は、 時を越えて未だ新しく、 今日のGKの機軸となっている。
     1989~90年には「市制100周年記念事業」が各地で展開された。 名古屋では「世界デザイン博覧会」「世界デザイン会議」が同時開催され、 情報化時代におけるデザインのあり方が討議された。 だが、 グローバル文化、 ボーダーレス社会などが高々に唱えられる中、 その先に秘かに待ち構えていた「バブル経済崩壊」の足音に気づいた者は少なかった。

    1980’s Project
  • 1990’s

    1990年代、 栄華を誇ったバブル経済は、 ついにその絶頂期から陥落することとなった。 まさに「世紀末の失われた10年」。 金融不安と長引く不況、 そして産業混迷の時代であった。 さらにサリン事件、 阪神淡路大震災など、 多くの天災・人災が、 次々と追い討ちをかけた。
     不良債権処理がはかどらぬ中、 企業の再編成、 それに伴うリストラは進み、 失業率の増大や消費の低迷がさらに拍車をかける。 様々な分野・領域における構造改革が叫ばれる中、 変革の嵐は、 デザイン界にも当然の如く、 吹き荒れることとなった。
     その時既にGKは動き始めていた。 変革されゆく経済社会や産業構造の真只中にあって、 デザインそのものの自己変革に立ち向かったのである。 「日進月歩」ならぬ「秒進分歩」の技術革新の中、 企業が世に生み出す工業製品の「精緻な質とかたち」の創出を求め続けた。
     分割民営化され旅客サービス向上を目指すJRに向けての積極的デザインの導入。 パブリック・デザインをはじめとした、 災害に強く、 より安全な都市環境構築への取り組み。 ユニバーサル・デザインを通じた、 より多くの人々への共用品デザインの普及など。 いわば世紀末の断末魔の時期にあるも、 その重圧を乗り越えて新たな世紀へと繋ぎ行く、 デザインの使命をひしひしと感じつつその歩みを進めていた。
     1995年これらに並行して、 戦後の荒廃の中に生まれ育ちながらも今日に至った「日本のデザイン」の窮状に関する論議を契機に「日本デザイン機構」を設立。 個々の専門性を深め細分化してきた諸分野を糾合し、 一分野だけでは為し得ない多彩な活動を目指す。 それはさらに「世界デザイン機構」の活動へと展開した。
     1997年「道具の美学–since 1952」をテーマに「GKグループ展」を開催。 半世紀にわたる足跡を示すと共に、 新世紀への提案を広く世界へ問うた。 さらにはGKの基幹研究である「道具論」を学術的に展開すべく「道具学会」を設立。 確固たる信念と情熱に支えられ、 GKはついに21世紀への門をくぐり抜けることとなる。

    1990’s Project
  • 2000’s –

    2001年「セプテンバー・イレブン」を境に世界は大きく変貌した。 あたかも重なり合う地獄絵図の如き衝撃。 今世紀最初の悲劇が人々を襲った。 激しい憤りを鎮魂の心で包み、 GKはその歩みを続けた。
     20世紀に至るものづくりのあり方を改めて問い直しつつ、 これからのデザインの担うべき世界を求めた。 IT世界の台頭がその勢いに乗って、 世界中を駆け巡る中、 グローバル経済はさらに多層化し、 ネットワーク社会が暮らしの隅々に侵入する。 凄まじい科学技術の先端に触れ合いながらもGKはIT技術を内包した、 製品開発に、 環境開発に、 そして都市開発に挑むこととなる。
     2002年「日本科学未来館」の展示デザインを通じて表現されたより良き未来の姿に、 多くの人々からの共感を得られたのは、 そこに「デジタル時代」の道具文化のあり方が示されていた故であろう。 道具と共に得る真の喜びとは何か。 心からの感動とは何か。 道具を通じた豊かな暮らしとは何かが、 如実に示されていたからであろう。
     「道具村構想」に込められた新しいもの文化・文明への転換の勧め、 そして「地中蓮華」の世界に表象されたデザインのユートピア像には、 共にデザインが開くべき新世界像が潜んでいた。
     そして2011年3月11日。 東日本大震災は、 永く抱き続けて来た人々の価値観を再び激しく突き崩した。 だがその落胆と反省を越えて、 GKは改めて多くのことを学んだ。 「自然観の再認識」「新たな人生観の再構築」「科学技術観の刷新」「ライフスタイルの再考」など。 これらを歴史の大いなる訓として今こそ「道具文化の再生」を果たさねばならない。 道具が文化を創り、 その文化の連鎖によってコミュニティーが形成される。 それによってこそ、 ものづくりとデザインを通じた 「新たな地球像」が顕れるのである。
     かつて青く見えた我が母なる地球に、 デザインの大きな潮流を起こさねばならない。 デザインを通じた力強い未来の構築を目指し、 GKはさらなる一歩を踏み出したい。

    2000’s – Project