基調講演

静けさの文化
ユルヨ・ソタマ−  日本フィンランドデザイン協会(Finland)会長 / ヘルシンキ芸術大学 学長


 お集まりの皆さま、本シンポジウム参加者の皆さま、この一週間で、このご覧になっているシンボルが、東京のいろいろなところで見られるようになったと思います。大変結構なことだと思っております。
 私は本日第四回日本フィンランドデザインシンポジウムでお話しをさせていただけることをたいへんに喜んでおります。特に、この文化女子大学で講演をさせていただけるということを光栄に思います。曽根先生にたいへんお世話になりまして、ありがとうございます。栄久庵先生、そして島崎先生のお話によりまして、本シンポジウムの背景が形づくられてきた、私どもがこの四年間考えてきたことを皆さまにおわかりいただけたのではないかと思います。

 私はユルヨ・ソタマーと申します。フィンランド側の、日本フィンランドデザイン協会の会長であり、村井さんからご紹介がありましたように、ヘルシンキ芸術大学学長でもあります。この大学は、私がこれからお話しさせていただくデザイナー、アーティストの母校になるんですけれども、だから名前を出すというわけではありませんけれども、フィンランドのデザインをつくり上げてきた人たちの名前をいくつか紹介します。
 私の講演は「静けさの文化」ということなんですが、講演の中で、私はフィンランドのデザインのなかで、この現象がどのような表現をされているかについてお話ししたいと思います。実際の“モノ”に焦点を絞ってお話しさせていただきたいと思います。後ほどティモ・サッリさん、ミッコ・ヘイッキネンさんが、実際に、この生活環境とデザインということについてはお話ししていただけると思います。このトピックに関連して、いくつか引用させていただきたいと思います。

 『静けさの世界』という1948年に出版されたマックス・ピカールの著書の中に、彼はこういっています。“静けさの喪失ほど人間性を変えたものはない”。今日、新しい時代に入りどんどんいろいろなものができていく、そういった中で新しい現象、新しい騒音、新しい音、さまざまなものがいっぱいになってしまい、人間にとって大切な静けさが喪失されたということに気づいたわけです。また、ごく最近ヘルシンキで行われた展示会の中で、イギリスのアーティスト、ルック・テュイマンスがこう言っています。彼は、自分の作品について話していたんですけれども、こう言いました。“効果的な絵というものは、静けさの密度が高くなくてはいけない。いっぱいの静けさがあるか、または真空でなければいけない。そして、その絵を見る者は、静止しなければいけない”。彼の考えでは、静けさというのは何かをつくり上げる、意味のあるものをつくり上げるための、大変なエネルギーを持っていると考えていたようです。

 この静けさのデザインシンポジウムですけれども、リビングデザインセンターOZONEで一昨日から始まっているわけですが、三つの違った観点から、静けさの文化、そしてフィンランドのデザインに焦点を当てています。皆さんまだご覧になっていらっしゃらない方もあるかと思いますけれども、ぜひお時間を取って見ていただきたいと思います。
 フィンランドの最も優れたデザイナー、建築家、アーティストそして工芸家がこのテーマに基づいて、展示会に自分たちの解釈を発表しているわけです。先ほど島崎先生のお話の中にもありましたけれども、展示されているものの中には、フィンランドのデザインというものばかりではなく、フィンランドで作って日本に持ってきたというものもあります。電球はフィンランドから持ってきたわけではないんですけれども、それ以外は全部フィンランドの技が入っているということであります。
 そして、この展示会の中で、また産業の分野で何ができるか、日常生活で何を使っていけるか、ということも見ていただけるかと思います。単に展示されているという事ではなくて、生活環境の中で使っていけるようなさまざまなものを展示してあります。そして、そのような展示会も行われているわけです。
 そして、第三番目に文化的な背景、そういったものからフィンランドのデザインが生まれてくるわけです。昔ながらのフィンランドの日常的な製品、そういったものは現代性、それからグッドデザインを象徴しているものをよく見ていただけるかと思います。そして展示会全体を通じ、フィンランドのデザイナーや建築家、それからアーティストの人たちが協力していく、お互いに協力していくというユニークな伝統を見ていただけるのではないかと思います。
 実際にこういった作業に携わっている人たちだけではなく、教育の、教育訓練というような側面からも、さまざまな分野の協力によりまして、将来につなげていくという考え方があるのです。また、このシンポジウムもその一例なんですけれども、世界のほかの国々とも、そういった面で協力していきたいという気持ちを持っています。

 われわれが行おうとしているのは、皆さんに、今、日本におけるフィンランドのデザインの理解を深めるということが目的なんですが、フィンランドの製品を買っていただきたいというよりも、われわれの考え方を、問題解決に当たっての考え方を理解していただけたら、というふうに考えているわけです。しかし、この展示、またシンポジウムで一番大切なのは、我々の物質文化の根底にあるさまざまな価値観をどういうふうにつくっていくか、そういったものについての話し合いを創造していくということだと思います。先ほどの栄久庵先生、島崎先生のお話にもありましたけれども、現在われわれは岐路に立っていると思います。ここからどうすればいいのか、この物質文化の未来を形づくるに当たっての理念はどういうものなのか、というのを考えなければいけないと思います。静けさの文化ではないのか、ということをわれわれは提言したいと思います。
 このシンポジウムで話し合われている事、そして展示会においても、いろいろな試みがなされておりますが、これはフィンランドのデザイナーや建築家だけの努力が実ったということではありません。非常に長期にわたって、フィンランドと日本の間で対話が行われてきた結果なのです。島崎先生のプレゼンテーションの中で、一つだけ修正を加えたいところがあるんですけれども、島崎先生、七月は寒いとおっしゃったと思うんですけれども、そうじゃないんですね。七月は夏でございまして、二十五度とか三十度です。最後の前回のシンポジウムは、二月にラップランドで行われて、この時はマイナス二十五度とか三十度でした。日本、そしてフィンランドで今、まで三回このシンポジウムが行われていたわけですね。我々の国のどちらかで、季節ごとにこういうシンポジウムを行ってきました。第一回目はフィンランド、そして、この第四回目のシンポジウムはここ東京で行われているわけです。

 そもそもどうやって始まったのかということなんですけれども、まず、このテーマの選択については東京できっかけをつかみました。鳥越けい子先生が午後のモデレーターを務めていただけるのだと思いますけれども、ここに座っていらっしゃいます。この方があるインタビューのなかで、静けさということをテーマにする話し合いに参加してくださいました。まず、都市の景観というようなテーマが最初に出たんですけれども、しかしそうではなくて、さまざまな受ける刺激、われわれの環境から受ける刺激からの全体的な感覚という話に焦点が移っていきました。こういった話の中では、静けさというのは無声・無音ということではなかったんですね。これは聴覚的な刺激がないということじゃなくて、調和、そしてトータルな経験として刺激に満ち、また喜びに満ちているものの一環であるというふうに考えました。

 われわれは交響曲を例に例えて考えてみました。オーケストラの中のさまざまな楽器というのは、非常に高い技巧で全体的なアートをつくる一部になっているわけです。シンフォニーの中では‘音がない’ということも全体的なシンフォニーの中での一番重要な、非常に重要な事なんですね。すなわちこの静かな瞬間によって次の音の準備をするということになるわけです。次の変化が起きる準備をする期間、静けさというのはオーケストラのさまざまな楽器が奏でる本流のような音と同じような力を持つこともできるわけです。栄久庵さんがおっしゃっていたこの静けさということですけれども、これを音がないということではないと思うんですね。
 茶室における静けさというのは、音がないということではなくて、言葉が交わされない、しかし控えめな心の対話であるというふうに思います。そして、それはトーンダウンされた調和の中で、全体的な構成の中でのコミュニケーションの方法だと思います。交響曲のように、茶室における建築の特質というのは非常に複雑なものだと思います。安らかで、しかしやはりエネルギーに満ちているわけですね。そういった中には尊厳、威厳がその根底にあると思います。シンフォニーでもそうですけれど、いろいろな意味が織りなされているわけです。ですから、非常に安らぎを提供しながら、張りつめた、またエネルギーに満ちた空間なわけです。
 サウナというのは非常に暑いわけでありまして、茶室とは違うわけですけれども、サウナというのは水、地球、そして火を一体化させていくわけです。そして、その儀式の中で心を浄化すると言うこともできると思います。ぼんやりとした暖かさの中で、人々は裸で座って対話を行っているわけです。そして茶室の場合には、またサウナの場合も自然に囲まれているわけです。そしてどちらの場合もその経験の一環なわけです。そして、その中にあって初めて全体を感じることができる。フィンランドも日本も、そういった経験を感じるという意味では、非常に多くの共通点を持っていると思います。

 私は鳥越先生に、何年か前に京都を訪れた後、話をしていたわけなんですけれども、そういった中でもフィンランドと日本の考え方が近いということがおわかりいただけるんじゃないかと思います。私の妻のピルコは、今日は来ていないんですけれども、その時、桂離宮や京都のほかのお寺を共に訪ねました。その時、苔むした石庭に非常に感銘を受けました。私はその後サウナに入って、そこの窓から雨の降る森を見ていた時に、この寺の庭を造ろうとして一所懸命努力していた人たちの努力が、まさに実っているということを実感いたしました。氷が溶けた後に積み上げた岩、そして苔むした岩、ナナカマド、また金色に輝く松の幹、このようにフィンランドと日本の理想、そして経験というのは大変近いと思います。性急、先を急ぐということは騒音でありまして、周りを見渡す余裕を奪ってしまうのです。

 私は、実は森に住んでおります。フィンランドの中心であるヘルシンキではなく、森の中に住んでいるわけなんですが、非常に、その優しい静けさが好きです。そして平安な瞬間が少なくなる中で、さまざまな音色を楽しむことができると思います。時間がないので、経験の空間が奪われているわけです。そして、心を育む平穏な静けさの風景もだんだん姿を消しています。静けさというのは、非常に生き生きとした音色に満ちていて、心に沁みる感覚がいっぱいです。もし時間さえあれば、そういったものを観察し、感じることができるのです。皆さんも時間を取って回りに目を転じてください。
 静けさというのは、フィンランドの日常生活、建築、デザイン、その伝統に生きています。騒々しいもの、移り変わるもの、目立ちたがりなものを排除しています。われわれの物質文化というのは、非常に涼しい美しさを醸しだしている。穏やかで、知的な刺激に満ちています。われわれは抽象的な近代主義にだんだん環境を合わせていく。そして、自然の中に存在する有機的な形というのも取り入れられています。
 タピオ・ヴィルカラ、アルヴァー・アールト、キモ・サルパベナ、こういった人たちが、われわれのデザイン、そして建築の巨匠、という人たちですけれども、そういった空間から造形をつくっていきました。これは、まず一方には自然、自然が素材をつくっていく、そして一方では、このテクノロジーと産業化の時代における理想というものが形づくっていくものがあります。私たちはこの二つの間に調和をもたらすということが仕事ではないでしょうか。

 タピオ・ヴィルカラの作品、タピオ・ヴィルカラはコンテンポラリーの巨匠です。彼の作品は自然から生まれています。これはよく知られている花瓶で、フィンランドの森で、今まさに生育しているきのこですね。つまんで食べてもいいわけですけども、これが実際の造形のモデルにもなっているわけです。シモ・ヘイッキラとも昨日話をしていましたが、これは木の幹ですね。松の幹を見てこの造形を考えたわけですが、それ以外にも自然に存在するわれわれの湖、そして木の幹、そういったものからのイメージです。

 テモ・サルパネバ、この展示会でも展示されているわけですけれども、これも自然由来です。その造形、自然がベースになって創造されています。ですから、こういったテクノロジー、近代、そして人間、そういったものから作品が生まれるわけなんですけれども、これは氷河期の水仙、そして草花の自然のアーチ、それから氷の表面が春になるとだんだん変わっていく、そして幾何学的な模様も自然には存在するわけです。そして、自然というのは現代的な伝統にも息づいているわけです。これは装飾ということではなくて、色とりどりのイメージということであります。そして、われわれはこの北の自然というものを生かしています。

 島崎先生の方からフィンランドはここだ、というご紹介がありましたけれども、世界でも、最も北に位置する国の一つですね。緯度六十度線以北に住んでいるのが60%です。ですから、そういった環境、北の環境というのがわれわれの文明、われわれの文化にも影響を及ぼしています。もう一つ、われわれの考えの中で大切なのは、普遍的なもの、そして機能的なものを愛しているということです。フィンランドのデザインはごてごてしていない、そして装飾的でなくシンプルなわけですけれども、だからといって創造力(想像力)貧困というわけではありません。フィンランドのさまざまなモノづくりは、いろいろな解釈が可能なわけです。類型化したり、カテゴリーに分けたりということはありません。

 カイ・フランクというのは普遍の世界の大家です。彼が作る食器は質素な食事であっても、または非常に豪華な夕食であっても、どちらもぴったりです。彼の特質、そこに生きる詩というのはほとんど囁きのようなもので、絵画的で静謐です。そこには形態、造形の言語というのがありまして、それは我々の意識下に働きかけるものです。しかし、この造形の言語というのは力がないとか、従属的だったりということではありません。静けさというのは喜びに満ち、また決意に満ちたものです。

 ナタリ・ラ・デンマキ、それからトゥーリー・ソタマのオブジェクトですけれども、この静けさという伝統を生かしています。たとえばこの岩苔のようなものですね。非常に敏感な心の産物でありまして、詩的な考え方を喚起します。フィンランドのデザインのユニークさというのは、さまざまなところから生まれているわけですけれども、非常に重要なのはクリエイティブな人々、クリエイティブな人達のコミュニティーが、非常に大きいということであります。このコミュニティーのメンバー、すなわちデザイナーや職人、アーティスト、そして建築家は、常にクリエイティブな協力ということを重視してきました。われわれの文化は好奇心に満ちたアプローチに満ちています。アートをつくっていく、日常的な製品をつくり、環境をつり、フィンランドの文化、そして生活を豊かなものにしていく。その場限りの刺激ではなくて、われわれはもっと長い間味わえるものを求めているわけです。
 造形、そして空間の造形、また調和には、予見性と合理性が求められます。デザインというのは、われわれが住んでいるこの現実を解釈するものだと思います。われわれの作品は常に機能を持っている。われわれの目指すものは、すべての人に精神的に豊かな生活をもたらすということです。そして、世界をより興味深いところにしていくということ、また、世界を理解するということです。

 マリメッコ、この人の作品も展示しておりますけれども、東フィンランドに生まれました。そして、カレリアの村に道路が通っている、そういったところから日常的な生活のイメージを膨らましております。ヴォーコ・ヌルエメスミエニ、マイヤ・イソラ、アンニカ・リマラー、そしてフジ・イシモと、そして、それ以外にもいろいろなデザイナーが現代的なライフスタイルの鼓動に満ちた造形をつくってきました。この、外から見て美しいということが、価値が重視され、技術、そして商業的な価値が重視されています。そういった中で、真に人々が必要とするものを生む、その役に立つものをつくるというのが重要なことです。この世界は技術に向かってどんどん進んでいます。そういった中においても、人々が真に求めるものを取り込み、普遍的な価値を見つける手伝いをしていくことが重要です。リーサ・ヨハンソン・パーペ、そしてユキ・ヌミ、それからアンティ・ヌルメスニエミ、この三人は、その作品の中にこうした理想を具現化しようとしてきました。

 ここで皆さんに一つお願いしたいことがあります。アンティ・ヌルメスニエミの作品をここにご覧いただいているわけですけれども、この人はフィンランドのデザイナー、アンティ・ヌルメスニエミですけれども、五十年の間、いや五十年以上造形に関わってきました。本日、私が話していることをテーマにしてきたわけです。そして、二週間前にこの巨匠が亡くなりました。皆さんに一分間の黙祷をお願いしたいと思います。どうかご起立ください。 <黙祷> ありがとうございます。ヴオッコ・ヌルメスニエミに、日本に、こちらに来る前に話をしました。アンティの友人の方もここにたくさんいらっしゃっているわけですが、このような形で弔意を表したいということを約束して参りましたので、皆さまありがとうございました。
 これは建物の写真ですが、プレゼンテーションの中で、建物の写真はこれ一枚です。私が今まで話してきたような理想を雄弁に語っていると思います。また、一番最初に自然との関係について話しましたが、フィンランドにおける森の大切さ、そして森には松が多いというお話しをいたしました。立派な松の幹、この柱を見ていただくとわかっていただけるのではないかと思います。

 ノールニ・スミアミ以外に、ユルヨ・ヴィヘルヘイモ、シモ・ヘイキイラ、イルッカ・スッパネンの家具、それは合理的なものを求め、また素材を大事にするというわれわれの考え方を投影していると思います。こういった考えによりまして等しく恩恵を被る文化に近づいていけるのではないかと思います。私どもの文化は同等性、機会の同等、男女同権、同等性ということはわれわれの考え方、スカンジナビアにおける考え方の根底にあります。それがデザインにも反映されていると思います。

 またイルカ・スッパネン、この方も展示会で作品をご覧いただくことが出来ます。われわれの対話によって、フィンランドと日本の文化の共通点を求めてきたわけですけれども、その理念的な、また経験的な土台、そして生活を豊かにしていかれるような文化の根底にあるものを模索してきました。一瞬のイメージだけではなくて、物質的社会が知的な好奇心と精神的な尊厳、そういったものを支えるということが大切だと思います。われわれの対話の中で非常に深い友情が生まれたので、これは決して溶けてなくなってしまうということはないと思います。

 そろそろ終わりになりますが、日本フィンランドデザイン協会日本サイドの方々、そしてリビングデザインセンターOZONEに今回の意欲的な展示会に関してご協力いただいたことを、心より感謝したいと思います。また、このシンポジウムを開催する機会を与えていただいた文化女子大学に心より御礼申し上げたいと思います。また、栄久庵先生はこちらに今日いらっしゃらないわけですけれども、また島崎名誉教授、そして村井さん、またフィンランドのアーティスト、建築家の方たち、さまざまな企業や日本とフィンランドにおける団体がわれわれを信頼し、われわれを支援してくださいました。これによりまして、このイベントが実現することになりました。
 ぜひ静けさのデザインの展示会を見ていただきたいと思います。本を読み、また作品をご覧ください。本を展示会の会場で販売もしておりますので、買っていただければと思います。それでは、ぜひ展示会に行っていただきたいと思います。ありがとうございました。


事務局
日本フィンランドデザイン協会 (Japan)
東京都港区南麻布3丁目5-39 フィンランドセンター内
連絡先 : 株式会社 GKグラフィックス内
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