講演

時代性を超えて−暮らしにみる静けさ−
曽根 眞佐子  プロダクトデザイン/文化女子大学教授


 皆さんこんにちは。今、ご紹介いただきました曽根でございます。今、私とってもどきどきしているんです。実は昨日の夕方、同じこの段上から3百人の若いお嬢さんたちを相手に授業をしておりました。ここから見ると、ずいぶん景色が違うなっていう感じがいたします。私がトップバッターということですが、持ち時間が二十分でということですので、今日は長引いて後の先生方にご迷惑をお掛けしないよう、読みあげるという形で発表させていただきたいと思います。

「時代性を超えて」という大変大仰なテーマをここに掲げましたが、私が実際にやってきた仕事を通してクワイエットネス【Quietness】ということについてお話をしてみたいと思います。今、音は暮らしのデザインにとって、とっても重要なテーマになっています。とりわけ、だれもが使いやすくて理解できる事をめざすユニバーサルデザインにとって“音”は本当に重要な課題ですね。実際、今、家の中の家電製品なんかをみますと、朝から晩までチンチンいったり、留守番電話が鳴ったりしております。
 まあ、音はもっと、そんな単純なものではないわけですけども、日本では、チンという言葉がございまして、チンをするって、皆さんおわかりですか?多分フィンランドの方はおわかりにならないと思いますが、日本は、チンと言いますと、電子レンジを使うということになるぐらい、音の問題というのが、今家庭の中の重要なテーマになってきているんじゃないかと思います。で、本日のテーマのクワイエットネスっていうこと、直ちにその音のありようと結びつけて考えても、どうも不毛のような気がします。
 ということで、今日ここで、私はクワイエットネスのデザインということについて、人間の五感の一つである音だけではなくて、人間の全体性の五感であることに広げて考えてみたいと思ってます。私自身はプロダクトデザイン、いわば手にとって使う道具のデザインを専門にしてまいりましたので、道具そのものの全体性と人間のもつ感性、そういったものの響き合いについて話してみたいなー、と思います。で、確かに、静けさは音に関わる言葉ですけれども、その音をちょっとはずして全体を語るっていうことは、どうも焦点がぼけるかなーっていう気がしますが、ま、むしろ静けさの本質につながるんじゃないかと思っております。
 と言いますのは、今日のテーマ「静けさのデザイン」の静か、「静」という漢字の成り立ちを見ると、実はこれ、どうも全体性のあり方をいっている、ということがあるんですね。この漢字、日本のこの表意文字はも中国から来ているわけですけども、というのは大変優れていると思うんです。ちょうど、私がこの大学に来る前に、GK道具学研究所というところにおりました。そこのボスでありました山口昌伴さんという方から教わったことが“とにかく辞書を引け”ということでした。そして、今回、この静けさということに対しても、そこから始めたわけです。

 そこで、国文学者で大変著名な白川静先生という方が、いろいろな、『字訓』とかいろいろな辞書をお書きになっていらっしゃいます先生の本をちょっとひもときまして調べてみました。そういたしますと、静かという字の「静」の「偏」の左側、これは青い、という字を書きますね。この字は生命の始まりをさすといわれています。そして、それに「サンズイ」をつけると何と読むかって言いますと、清らか、っていう字になりますね。これは、初期の症状を表す、まあ、青い人とか、青二才なんていう言葉もありますけれども、とにかく、初期の症状というふうに解釈することができると思います。一方「旁」の方、右側ですね、これは戦争の「争」っていうふうに書きます。静かなのに争い事、へえっと思ってびっくりをいたしましたんですが、実は、これは「スキ」、鍬鋤のスキですね。農業に使うスキを表す字なんです。このスキという字はこの争、今は争という字になっていますけど、昔の字はそうではないんですね。
 そうして、そのスキっていうのは、英語で言うとスペード“spade”、トランプのスペードと同じスペードなんですね。あのスペードっていうのは、もともと、やっぱりスキの格好だったんですかねえ。そのへんはわかりませんが、いずれにいたしましても、そのスキを表している字なんだそうです。そして、農耕の儀礼としてスキを清めて神様にみそぎを行う事、ということの意味なんですね。静か、という字が道具に由来するとは全く驚いたわけです。静かの字、「静」っていう字ですね。道具を用いて静かにする、これは、まあ英語で言いますとビークリーン【be clean】ということになります。で、神に供えるために清めるという意味で、両方に静かの青いっていう清浄という字になります。このサンズイっていうのは水を表す言葉ですね。で、神様に清め、そのみそぎをするという字につながる、これを人に供するためっていうふうに読みかえますと、道具のデザインの究極の目標は、やはり静か・シンプルでなければならない、つまり清浄の浄の、静かの浄の方が、こういう難しい字です、皆さんご覧になったことないでしょう?しかし、ちゃんとパソコンに入っておりましてびっくりしました。「清浄、シンプルでなければいけない」っていうふうに読みかえることができるんじゃなかろうか、という大前提で話を進めていきたいと思います。

 英語の“QUIETNESS”という言葉の中にも、実は漢字の「静か」の意味合いにとても近いイメージが込められています。安らかな、穏やかな、おとなしい、あるいは和やかな、いずれにしても、物の存在の事をいっているんじゃないかと思います。このように静か、あるいはクワイエットネスというものをみますと、道具という存在の、本来あるべき姿っていうのが、きっとシンプルでクリーンなものと言えるんじゃなかろうかと思います。ところが、今暮らしの周りを見てみますと、先程、講演者の方がお話ししてくださいましたように、大変うるさい状況を醸しているわけですね。回りに存在する道具の姿、時代性を反映して、付加価値をたくさん身につけて、おしゃべりで喧騒に満ちていると思います。どうしたら静かな存在の道具っていうものをデザインすることができるのか?。これは長年デザインの世界にかかわってきました私にとってもとても大きな課題でした。そういう課題をテーマに、十数年前、GK道具学研究所っていうところにおりました時代に取り組みました私のデザインを一つご紹介して、本日の「時代性を超えて」というテーマに結びつけられればいいなあと思っています。

 GK道具学研究所っていいますのは、GKデザイン、ご存知ない方もいらっしゃるかとも思いますが、先ほどビデオメッセージをしてくださいました栄久庵憲司さんがボスの会社でございまして、そこの研究部門なんですね。生活環境を構成するさまざまな物や道具から生活のありようを調べて、そして、それをデザインにつなげていこうっていう研究所なんです。そこに私が在籍しておりました時に取り組んだ課題、それをちょっと、今日、皆さまにご紹介しようと思います。
 そこで取り組んだデザインは“鍋”でした。数年にわたるこのデザインがどのようにして生まれたかについて少しお話しします。数年にわたって「食べる営みの現場」であると言われる台所をつぶさに見て歩くうちに、お鍋が異常だ、ということに気がついたわけです。お鍋が台所を非常に混乱させている、調理台はもちろんのこと、床だの棚だの、もう至るところに鍋がいついている、という風景に出会います。扉を開けますと、お鍋がたくさん積み重なっていて、下の方はとても取り出せない。出すのが面倒だから、もう使い勝手が悪いから、もうお料理しないわっていう人も現れているというような状況に出くわしました。いったいどれくらいの鍋が台所にあるのかしら?っていう保有数の調査をしますと、二十個以上持っているっていう人が、なんと75%いるんですね。六十個も持っているっていう人もいるんです。フィンランドにはそんな方いらっしゃらないと思います。多分、クリーンな国ですから。案の定、日本人の物持ちぶりを示していると思いました。
 実際に使い回しているお鍋は?って聞きますと、ほとんどの方が“四個から五個あればいいのよ”というお答えでした。それなのに台所は鍋だらけです。そんな風景の中で実際にお料理に使われている鍋を見ますと、その場しのぎの、大変貧相でへこへこして汚れた鍋が意外と多いんですね。デパートや売り場なんかを見ますと、たくさん付加機能や高性能を売りにしている鍋、あるいは誰それさんのデザイン、というブランドのくっついたもの、外国用のお料理の鍋、花柄、ガラス、いろいろな鍋がたくさん出回っています。そうした豊富な選択肢がありますが、どれも一長一短があって、結局、何の取りえもない、安手の、普通の鍋が毎日使われている、という実態を見たわけです。この普段使いの、普通の鍋を、しゃんとして、取り合わせのいいセットを仕立て直したら、お料理はぐんと美味しくなるし、きっと数少なくて、必要十分なセットで、使いやすくて、風景もきれになって、そして、いらないお鍋は処分できて、きっと壮絶な台所風景も静かな秩序が現れてくるんじゃなかろうかと考えました。

 そんな時に『クロワッサン』という雑誌を出版している雑誌社から「今、問題の多い道具っていったい何?」っていう問いかけがありました。その時、私は迷わずに“それはお鍋です”って言ったんですね。クロワッサンは、日常生活の実感を本音にして、それを基本にして主婦層の読者に問題を投げかける生活デザイン雑誌、ではありません。その考えに則したオリジナル商品を作ったり、あるいはセレクションした品物を扱うクロワッサンの店というものを持つ、社会派の情報メディアなんですね。このお鍋の、デザイン以前ともいえるような台所の惨状の写真やビデオを両者で見て、これはひどい、一緒に開発しましょうよ、本来あるべき姿の、良い鍋をデザインしましょう、ということで意気投合いたしました。
 そして、GK道具学研究所サイドで集めたウォッチングデータと、そして、クロワッサン誌を通じて得た膨大なアンケート調査を合わせて、両者はまず、本当に必要な鍋の形が先にあるべきだ、マーケットとかなんとか無視して、本当に必要なのは暮らしの中から出てくるものだ、という前提で、お互いに納得のいくデザインコンセプトと造形を固めました。これだけですと、学校の課題と全く同じになってしまうわけですが、こうしてコンセプト、造形を決定した上で、これを作ってくれるメーカーを後から探しました。幸い技術開発力や製品のグレード、共に素晴らしいメーカーが“ぜひ作りたい”っていう申し出がありました。そのメーカーにとって都合の悪い事、それは私どもは一切許しませんでした。もう、必ずこういう方向でやってほしい、ということで、期待通りの鍋が実現して、クロワッサンの店のみならず、当時不況の入り口に立っていたにもかかわらず、デパートなど、一般市場が棚を空けて待っていてくれる程、目覚しいヒット商品となったわけです。

 それ以来十数年、市場で、あるいは台所で、多分今でも活躍していると思います。こうして鍋七種類をデザインいたしました。必要十分な鍋は時代性を超えた“モノ”ということで、競合商品ひしめく売り場の中でものを考えるのではなく、生活の現場から発想して、道具として普通の鍋に着目をしてやろう、ということでした。普段の調理をとにかく大切にしたい、特別な何々料理ということではない、毎日作る日本型の、茹でたりだしを取ったり、基本調理に徹しました。そして、普段の家庭料理が今、消えつつある伝統的なお魚の料理とか蒸し物とか、そういうものに着目をして、そして今、外食やレトルトに頼りきっている若い方たちにも、自分で作る美味しさをぜひ味わっていただきたいという願いをこめました。
 そして造形はですね、これは道具として一番素直で穏やかなデザインということに留意をいたしました。鍋が持つべき基本機能をそのままの形にして、自然に手が延びる造形、そして、一番時代性を超えたと思っている事は、クライアントのオーダーによらない、っていうことなんですね。これ、実際大変な努力をいたしましたが、自ら自主開発をして、メーカーを後から探したということ。通常、デザインサイドの提案がいくら良くても、クライアントが受け入れてくれなければオシャカです。お蔵入りです。もう一つ、『クロワッサン』というメディアの力を多いに利用したということ。
 情報力、そして、開発のプロセスから皆さんが使っていただいてる状況まで、常にずうっと記事を書き続けていただきました。開発期間に長い期間を掛けたっていうのが、とてもその時代では珍しかった。四年間かけたんです。要するに、物づくりをしていく上で、こういうふうにしなくてはいけない、というやり方を全部投入して、手間隙かけて気を配って検証して、道具の生命力をつくり上げたと思っています。そして、発売してから十二年間経ちますが、その間に、なんと最初のメーカーが不況の波をくらって廃業してしまいました。さあこれで、この鍋も世の中から消えるのかな、と思ったらば、すぐ次のメーカーがぜひ作らせて欲しいっていうメーカー、もっと大きいメーカーでした、現れたんですね。ところが、そのメーカーも調理器具部門が撤退っていうことで、ああ、二、三年前の事です。もうだめかなあと思ったら、もっと大きい外資系の会社がぜひ作りたいっていうことで、実に数奇な運命をたどってます。

 私たちの生活の基本的な行動を支える道具、あるいはその使い方、まあ、使い方って言うと、お作法っていう言い方もできますけど、いっそう確かな暮らしを生み出すための道具っていうのは、やっぱり、時代性というものを超えて生活行動の目的の本質をしっかりと捉えた姿と形をしている、というものでなくてはいけないと思ってます。最初に述べましたQUIETNESSの形が見いだされると、私は思っております。
 工業社会の中で、道具のほとんどは商品、これは売る品、商う品と書きます、英語でいうとマーチャンダイズですね、として販売されるために製造されます。そして商品として買い入れて、生活場面に持ち込まれて、使用されるプロセスでは‘商品を使う’と、私たちは絶対に言いません。生活道具、‘この道具が便利ね’っていう言い方をしますね。道具になるわけですね。商品の場面では、販売戦略として、特にマーケティング大国の日本では、ファッションやブランドやイメージなど、商品性を支える時代性がたくさん加味されます。商品性という、目に見える付加価値や付加機能が満載されて、さまざまな造形言語で、美辞麗句、という言い方、ちょっときつい言い方ですが、そういうもので飾られることが多いと思います。こうした時代性が主流のマーケットは、おしゃべりな道具や、自己主張の強いやかましい道具たちの喧騒のノイズに沸きかえっている。そして、その時代性の衣を背負って暮らしの中に住みついた商品は、普通の道具として使いこなされないまま、次の時代性を背負った商品に打ち負かされて、捨てられちゃったり、使われなかったり、放り出されちゃったりするわけです。まさに不協和音ですね。この不協和音というのは、私のアメリカ人の友だちに教わったんですけれども、カコフォニー【cacophony】と言うそうです。特にビジュアルなカコーフォニーですね。そういうものが暮らしの風景をつくり上げている。
 その自己主張の喧騒の中にあって、目立たないけれど普通のもの、安定した佇まいを持つもの、そして人が使う事によって、その人の技によって機能を発揮していける基本性能をしっかり持った道具を作りだしていくこと、これが時代性というものを超える、健全なデザインを生み出すルールなんではないでしょうか。健全で穏やかな道具、それは時代性や時流性がない、と言ってみますと、どうも時代遅れで商品性にも乏しくて、売れやしないんじゃないかと思われがちです。しかし、私の紹介したこの製品は根根強くメーカーが継承されているということ、これは売れているからなんですね。売れなければ、多分そういうことはないだろうと思います。このことは、やっぱり生活者が道具の本質を見通す感性の目が失われていないな、っていう証拠ということで、私はたいへんうれしく思っています。その鋭い感性のまなざしというものが、今復権しつつあるような気がいたします。
どうもありがとうございました。



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