講演

静かにしていただけませんか
ミッコ・ヘイッキネン  建築家


 皆さんこんにちは。今回、友人の皆さんこんにちは、あるいは静けさの中の友人の皆さまこんにちは、と申し上げることができるのではないかと思います。フィンランド人、日本人共に一同に会して、お互いに何も発しなくても交流ができると考えるのです。これはいわゆるラテン文化などでは考えられないものではないかと思います。
 ミッコ・ヘイッキネンと申します。ヘルシンキの建築家でございますが、まず皆さんに本当に申し訳ないと思いますのは、作品をお見せできないということです。スタジオの作品にしても、あるいは、ほかの有名なフィンランドの建築家の作品も今回はお見せしません。ですが少し文章を書いてまいりました。静けさの展示会に関しての作品についての文章を用意してまいりました。もうすでに多くの方から、これっていったい何なんだ?という質問をいただいておりますので、私なりに説明をしたいと思います。最初のスライドお願いたします。

 スライドを見せる二人の内の一人、あと一人しかいないということですね、そのうちの一人でございます。さて、まずこれはちょっと冗談も込めてということなんですが、この漫画、数ヶ月前に見つけました。すぐにこれを見て思いましたのは、これはモットーになり得ると。「静けさのデザイン」のシンポジウムのモットーになれるなと思いました。アルキ・ダントという、非常に有名なフィンランドのアーティストが描いたものです。この人は、フィンランドのいわゆる民話のいろいろな逸話のシリーズを描いている人なんですけれども、もう、まさに真髄を突いていると思います。ここに描かれているのは、この人オークションをする人なんですが、ポヘマという、フィンランドの中央部西側の方にある町での、これはオークションの場なんですが、恐らく日本でもそうだと思うんですが、これ、非常に矛盾をはらんでおりまして、このオークショナーは、“皆さん静かにしてください、黙ってください、そしてビットを大声で言ってください”と言っているんです。静かに、でもビットは言ってくださいと言っている。これはまさにジレンマを示しているんではないかと思います。
 今回のシンポジウム、今回の展示会の静けさというのは、相対的な概念だと思います。自然というのは静かであるということではありません。ただわれわれの周りにある音を聞かない、あるいは耳を傾けないというだけの話なのです。湖、湖畔で夏の夕方を過ごすというのが、まさにフィンランドにとっては究極的な安らぎの瞬間であります。自然の音、すなわち鳥の鳴き声、あるいは風にそよぐ木、あるいは雨音、こういったものは、われわれの心を乱すことはありません。タルコフスキーの映画『ソラリス』ではクルーが、その空間の静寂を破るために森林の音、森の中の音を、これを模倣して配気口の出口のところに紙をたくさんぶらさげるということをしています。ただ、われわれが気になるのは、ほかの人間が出す、例えばラジオの音などということになります。つまり静けさ、クワイエットネスというのは、決してサイレンス【silence】といことではない。そうではなくてソリテュード【solitude】、ほかの人たちが必要ないと、すなわち、人気のなさというものを、われわれは孤独を求めているということです。
例えば、この湖に放置された椅子、これによってさらに静けさが増すということになります。その画像の中から人がいなければいないほど、“キリコ”的な空間が生まれるということになります。夏、人が去った後の浜辺、あるいはサーカスが去った後の空き地、あるいはいわゆるソビエト的視点を得ることのなかったロシアの、もう誰も住まない町、こういったところに本当の静けさがあるわけです。スターリンは、皆町に移るようにと指示しました。そこでロシアに行きますと、本当に老女、歳とったおばあさんが数人住んでいるという町がたくさん残っています。こういったリストはたくさんあります。

 こちらの写真ですが、これはあるフィンランドの別荘の壁を撮ったものです。これは秋になるとどこでも見られるものであります。これはダーツのボードであります。特に、夏場ダーツというのは、非常に、特に別荘のあるところでは、非常に人気のあるものです。これもダーツの的が外された後、ということであります。人々が去った後、秋には、かつてはここに夏場にはダーツがぶらさげてあったというものが残るわけです。文化の音、すなわち騒音、ノイズは慣れを生むものでもあります。例えば、私は高速道路から聞こえてくるブーンと言う音、これを聞きながら寝るということに慣れてしまいました。今では窓、密閉性がありますし、また家と高速道路の間に遮音壁が造られてしまって、全く音が聞こえてこないということで、たまに、真夜中耐えられない静けさの中で目が覚めるということがあります。都会の騒音というもの、これは原生林のため息ということが出来るかもしれません。
 いろいろなアーティストからの、グラント【grant】の、申請を受けました。マンハッタンに住む人たちが、単に日常を離れるということだけではなく、創作活動をするための、人気を離れた場所を求めた、こういった人たちによる申請であります。すなわちイニュアルレイクという北部にある湖であろうと、ブロードウェイであろうと、その存在のために、われわれは日常から離れた場を求めるということがいえるでしょう。

 同じようなことが、妻と私にも、ある時起きました。これは二年ほど前なんですけれども、フランスのピレネー山脈を訪れた時のことです。小さな村のはずれに寺院がありました。そこでは鍵をもらって、それから指示を仰いで、後は自分で前へ進むことができるということでありました。金属でエム【M】と書いてある、これはマスポーという村だったので、その村の頭文字をとってエムという表示、これに沿って山を登るというものでありました。決して長い距離ではなかったんですけれども、非常に暑い日だったものですから、百メートル登っただけでも心臓がバクバクする、そんな日でありました。その頂上のところ、笠松が生えていて、日陰がこのようにできていたんですけれども、オーク材でできた扉がありました。そして、その扉にもらった鍵がきちんと入った。そして、開けてみるとちょうど立つか、あるいはちょうど横たわるくらいの大きさの空洞が中にありました。これは大昔の羊飼いが、ちょうど休む場所のようなところでありました。そして壁は、そして天井は、蜜蝋が塗ってありました。この蜜蝋のにおいを嗅ぎつけて、蝶々がたくさんドアの隙間から入っていました。そして、そのドアのところに立ちますと、カタロニアの聖なる山が見ることができました。内側から扉を閉めることができるようになっていました。そして、ドアを閉めると真っ暗闇である、だんだんそれに慣れてきます。そうすると、回りの岩の外観なども見えなくなるという形になります。

 これはドイツ人のアーテッィスト、ウォルフガング・ライブの作品であります。特に、花粉とミルクと蜜蝋を合わせた作品で知られている人なんですけれども、これはこの博物館の外にある黙想、メディテーション【meditation】をする場、という最初の作品になります。この暗闇の中に十五分くらいいますと、自分の感覚が研ぎ澄まされるのがわかります。これは決して頭で理解するものではない、あるいは何かを指示されて理解するというものでもありません。また、これを作ったアーティスト自体も、このことについてはほとんど語りません。インタビューでも、なぜこの場所を選んだのか、資金集めが大変だった、あるいはこういう形で作りました、ということしか話をしないわけです。でも、考えてみれば、ストーンヘンジのあの巨岩が何を目指したものだったのかというのは誰にもわかりません。これは、まだ専門家の間でいろいろと議論されているものであります。それからフランス、ブルターニュにありますカルナックの岩の配列についても何もわかっていないわけであります。あるいはローマ時代の建築物にしましても、決して詳しい説明を、あるいは知識を持たなくても、建物を見て誰もが感動するわけであります。すなわち、こういった建築物というのは言葉を超えてわれわれを動かすということができるわけであります。

 フィンランドの版画家、ヘルミ・クーシーという人がいます。この夏国立美術館でレトロスペクティブ【retrospective】が開催されたばかりですけれども、この人は1950年代にこんなことを言っています。“私は何も大きな声で言う必要はない。そんなことはしたくない。そうではなく、少しずつ静けさを、私は発していきたい”と言っています。私も同じ思いです。しかしながら、耳を傾けてもらうためには、何らかの音は出さなくてはならないかというふうに思います。
 そこで、私のインストレーションの目的でありますけれども、これは決して現実を模倣したもの、これを背景として作るということではありません。例えば、サウナから出ていく際には、民族博物館にあるキャビネットのような、そういった変な作品にならにように気をつけなくてはならないわけであります。そこで出発点は光ということになります。光を、少し暗いこのエキジビションルームにもたらすということをしました。これは、いってみればよくある昔話の、窓のない部屋に光を入れるために、袋に光を入れて、明かりを入れて、運ぼうとした人のようなものになってしまうでしょう。どんな文化圏に行ってもこういうバカな人の物語というのはあると思います。すなわち、やることなすことすべておかしいというものであります。木製の折り畳みのフレーム、これは高さ、幅、長さ二・五メートルのものでありますけれども、そして、中はホワイトウオッシュされています。八つの蛍光灯を使って、全部で四百六十四ワットの明かりとなっております。そして片側に少しだけこのような開口部があります。

 建築物を造る、建築的な構造物というのは、いってみれば短編小説を書くようなものであります。すなわち、ごくわずかな言葉ですべてを語ろうとするということになります。レイモンド・カーヴァーという人がいます。この人はアメリカのチェーホフとさえいわれる人ですけれども、彼の短篇小説をみますと、最初のうちは何も起こっていないようにみえます。例えば釣りに行く。あるいは最初の子供の誕生日のためにケーキを買う、というような始まりになります。ところが、ごくつまらないある出来事があって人生が大きく変わるという展開になっています。たいてい、この、タイトルを見ると、このお話のクライマックス部分が反映されているということがわかります。最初のうちは何でもないように思えるものが、最後まで読むとそこに大きな意味があるということがわかります。例えばあなたはドクターですか?サンフランシスコで何をしますか?というようなものであります。それによって、実は私は今回のプロジェクトの名前をつけました。1976年にカーヴァーが発表した作品が、実はタイトルなんです。このストーリーの中で、ここでちょっとこの話の、ストーリーを説明させていただきますが、ラルフ・ワイマンという人が出てきます。この人が主人公ですね。ラルフ・ワイマンは、三年前に妻がミッチェル・アンダーソンという男と何をしていたのか、ようやく発見したと思う。そこで家から飛び出して、そして絶望感を抱えてあちらこちらで飲み歩いて、そしてギャンブルをする。そして朝帰りするわけであります。そしてバスルームの中に閉じこもっている。で、妻は“お願い出てきて”というふうに言う。そしてワイマンがこう言うわけであります。「お願いだから静かにしてくれないか」ということで、これはハッピーエンドの小説です。 どうもありがとうございました。



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