講演

日本の文化とテキスタイル
わたなべ ひろこ  インテリアテキスタイルデザイン/多摩美術大学名誉教授


 「日本の文化とテキスタイル」という大変大きなタイトルがついてしまいましたが、20分の限られた時間の中で到底語り尽くされるものではありませんが、「日本人の生活とテキスタイル」或いは、「私達の生活の中にあるテキスタイル」という観点でお話しさせていただきたいと思います。
尚、ここでいう「テキスタイル」とは、単に「布」ファブリックスという意味だけでなく、それを支える「繊維製品の総称」として広義な意味で御理解いただきたいと思います。

I 布と人の出会い
 母胎より生まれた赤子は産湯を使い、布に包まれて体液を落とします。これが人と布との最初の出会いといえるでしょう。子供は多くの繊維製品の恩恵の中で成人し、一生を過ごし、やがて死を迎えます。このとき死者の顔は一枚の白い布で覆われます。この布は死者への畏敬と同時に死者を邪から守り、また現世にあった魂を浄化させる、まさに生と死を分け隔てる辺界の布であり、厳粛な死の象徴でもあります。火葬された骸骨は骨壷に納められ、白い布で包まれます。生涯を果て終焉の時に出会うもう一枚の布であります。

II 布造りは産業の基点
 いずれの民族にせよ、この世に生を受け、死別してゆく繰り返しの中で、人々は多くの布に出会い、これを造り、利用し、生活の営みを続けてきました。人間の知恵は樹皮(木の皮)や獣皮(動物の毛皮)に代わって、それらの繊維で紐を造り、糸を紡ぎ、結び、組み、編み、織るなどの工夫を施して布造りの技法を見出しました。そのときから、人類はより人間的な感情を持ち始めたのではないかと思います。 一本の腰ひもは、ファッション、即ち、衣服の原点といわれています。また、「結ぶ」という行為は、ジョイントの原点であり、これらが変化して釘や、ちょうつがいやかんぬき等、諸々のコネクターに発展して来ました。言い換えれば、デザインの原点ということもできます。更に、糸を紡ぐという加工技法は、職能や産業の基点になったともいえます。近代を拓いた産業革命もまた紡績から始まりました。

III 繊維はヒューマンな素材
 今日では綿・麻・絹・毛などの天然繊維のみならず諸々の化学繊維が発明され、高分子化学の最前線にまで及んでいます。私達の生活を支えてきた日常的な素材が特に近年注目され始めたのは、新しいニーズと需要に応えるスーパー繊維(高性能繊維)や光ファイバーなどが誕生したからでありますが、その一方で繊維のもつ有機的性質や素材感が人間にやすらぎと心地よさを与えることに気づいたからではないでしょうか。 考えてみますと、人間は繊維と水とタンパク質から成るともいわれますが、人は正に生きた有機体であり、その他の生物、動物や植物などもまた繊維質から作られており、繊維は生命の誕生に関わる最も古くて新しい素材ともいえます。
 人は繊維を食し、繊維を身に纏い、繊維にくるまって寝ます。今日、人造血管や人造臓器も繊維で作られます。メド・テキスタイルと呼ばれる分野がこれです。 この意味において布テキスタイルは最も人間に近い素材であり、人間の第の皮膚であり、ヒューマンな素材といっても過言ではないでしょう。
 日本の駅のホームや街角のコインスタンドでもファイバードリンク“Fibe mini”がお目見えして久しくなりますが、今日では、発泡酒“生搾りFIBER”まで出現しました。繊維質が健康保持に良いことを知っているからです。

IV テキスタイルを通しての人間の復権と自然への回帰
 文明の発展は人間に恩恵をもたらし、豊かにもしましたが、一方では人間を疎外し、地球を犯しはじめています。この慌ただしい日常の中で、人は人間性の復権や自然への回帰を求めはじめ、ヒューマンな素材であるファイバーやテキスタイルへの認識が見直されているのだと思います。

V 伝統染織の中に生きる心と技(テクノロジーの意味)
 私は、自分の専門分野(フィールド)である、このテキスタイルを通して、自分自身と対話し、世の中を見つめてきました。
 日本には、着物や能衣装等の素晴らしい染織文化の伝統があります。そこには、自然を愛し、素材を愛した先人達の心と技が生かされています。植物の繊維や蚕の繭から糸をつくり、布を織り、自然から豊かな色をもらって染めました。私は、染めるという行為が好きです。表面に色を塗りつけるのと違って、素材の中に深く浸透して発色する神秘さにひかれるからです。私がテキスタイルの世界に魅せられてきたのも、今思えば、一本の糸がもつ無限の可能性と大地を吸って染め上げる色の不思議さにひかれたからだと思います。
 くちなしの実で染められた黄色い布は大切なものを包むのに使われました。虫を寄せ付けないからです。武士は戦に出るとき鎧の下に藍染めの下着をつけたといいます。刀傷を受けたとき化膿を防ぐためといわれてきました。登山家はウールの下着をつけます。遭難時に体温保持に優れた機能があることを知っているからです。アトピー症状に対処する絹素材の不思議さや紫外線カットの効能は人々の知るところです。

VI 三宅一生+藤原大
 皆さんの中には、先日、六本木AXISで開催された三宅一生と藤原大によるA-POC展をご覧いただいた方々もおられると思いますが、フィンランドの皆様にも見ていただきましたね。一生さんの仕事の原点には、日本の着物のコンセプトが生かされています。即ち、立体的な裁断方式で作られてきた洋服の分野に着物のもつ平面性を採り入れ「一枚の布から」をコンセプトに展開した服づくりは、着ることによって立体となり、美しいシルエットが表現される着物の概念が生かされています。化学繊維を扱いながらも、綿・絹・ウールなどの天然素材を上手に組み合わせた風合いの演出や、伝統的な組紐の工業化への挑戦など、新しいものづくりの現場を見て頂けたと思います。

VII 自然から学ぶ未来
 勿論、私も化学繊維や化学染料を否定するものではありません。化学繊維や化学染料には、それぞれの利点と効用があります。「おしめから宇宙服まで」というキャッチフレーズが注目を浴びたことがありますが、スーパー繊維や光ファイバーの出現は、私達の未来を拓いています。自動車の本体やタイヤにも、また土木建造物から建築構造、宇宙開発にもなくてはならない素材でもあります。雨が降っても野球が楽しめるあの東京ドーム球場も、ガラス繊維の布の屋根構造があってのことでしょう。しかし、それでもなお私達は、自然のしくみからまだまだ学ぶことが多いと思います。バイオミメテックス(生体模倣)という研究分野に求める科学的挑戦、くもの糸開発など、次世代繊維に託される夢と熱き思いには限りないものがあります。
 日本人は、自然を大切にし、自然と共存してきた歴史と文化があります。フィンランドも日本人以上に自然を愛する生活やポリシーが文化の基盤にあります。この似通ったアイデンティティを持つ二つの国が相まってシンポジウムをもつことは大変意義深いものがあります。

VIII 環境とテキスタイル
 今から6年前、1997年フィンランドのクォーピオアカデミーオブデザインから1通の手紙が届きました。それは、「TEXTILE ENVIRONMENT」 というタイトルでおこなわれた国際会議への招待でした。そのテーマは、人間と繊維素材との関わりを検証し、繊維テクノロジーとエコロジーの現況を合わせて、次世代のものづくりへの考察を行うものでした。エコロジー感覚が大変進んでいる国で、危機感を必要としない国と思っていたフィンランドで、いち早く開催されたこの会議の動向は、私に大きな刺激と感動を残しました。 会議に出席するにあたり、私は日本の状況を調べました。人間と繊維素材との関わりの展望や、リサイクルの現況などをあらためて学びました。その後、環境問題は、一層強く、私の関心事になりました。
 続いて、翌1998年2月第18回冬期オリンピックが長野で開催されましたが、大会理念として、「美しく豊かな自然との共存」に呼応するファッションショー「フォー・ジ・アース」、オリンピックのオフィシャルスタッフ・ウェアーに用いられたナイロン6・100%(ボタン、チャックなどすべて)の起用は、完全なマテリアルリサイクルの世界最初の試みでありました。その後、自然に還元することのできる化学繊維、生分解性繊維の研究や利用の展開など、日本の試みは社会的にも、次第に高まって来ていますが、いずれにせよ、ものづくりに携わる私達クリエーター自身に、その義務と責任があることを認識せねばなりません。 このフィンランドと日本、両国のクリエーター達によるデザインシンポジウムのテーマ「静けさのデザイン」ーDesigning the Quietnessーは、大変タイムリーな企画ではないかと思っています。

IX 豊かな自然との共存
 私は私なりにテキスタイルという素材と分野を通して、人間とは何かという本質に立ち向かい、人間が人間らしく生きるために、如何に行動すべきか、美しく豊かな地球を持続させるためにはどうあらねばならないか、情報と喧噪に渦巻く現実の中で、静かに問い直してみたいと思っています。

X 私の仕事 ー オプトの風
 最後にひとつ。私の最近の仕事をお見せして、レクチャーを終わりたいと思います。作品のタイトルは、“オプトの風”と名付けました。今、私は、テクノロジーと感性を融合させた造形に興味をもっています。 この作品は、光ファイバーを通すプラスチック管とLEDとのコラボレーションを利用して創作した造形作品です。風は様々な事象を運んで私達に四季を知らせ、新しい時を開き、改革の空気を起こしてくれる象徴的な自然現象です。この風をテーマに、新しい素材とテクノロジーを使って、風にそよぐ草の懐かしい風景を象徴的に表現しました。その中に、未来への暗示(足音)を汲み取っていただけたら幸いです。



事務局
日本フィンランドデザイン協会 (Japan)
東京都港区南麻布3丁目5-39 フィンランドセンター内
連絡先 : 株式会社 GKグラフィックス内
telephone:03-5952-6831 facsimile:03-5952-6832
e-mail:jfda@gk-design.co.jp


戻る