基調講演

静けさの意味を求めて―その言語学的解釈
ユルヨ・ソタマ−  ヘルシンキ芸術大学 学長


 ユルヨ・ソタマーです。本日は、皆様にお会いできて大変光栄に存じます。まずはこの場を借りて、このシンポジウムの開催に努力された日本フィンランドデザイン協会と栄久庵氏、そして協力者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。
 栄久庵氏から協会設立の計画をうかがったのは4年前のことでしたが、当時の私は、日本でフィンランドセンターを立ち上げるための活動をしておりました。フィンランドと日本は、友好的で密接な交流をしてきましたが、そのような交流を活気あるものにし続けていくための組識はありませんでした。そこで、フィンランド・サイエンス・コミュニティとフィンランドの産業界、そしてフィンランド国家は、日本にフィンランドセンターを設立することにし、1997年12月より、日本で活動をしています。しかし私たちは、このセンターだけでは不十分であり、より大規模な専門家を対象にした協定を作成する必要がある、と感じていました。そして、特殊な技術や才能、ノウハウを持つ人材を集め、フィンランドと日本の間に専門家たちによる架け橋を築きたいと考えました。この協会が設立されるに至ったのは、このような理由からです。
 また、建築やデザインの分野で、日本とフィンランドは特別の役割を担っている、と私たちが考えていたことも、協会設立の理由の一つだと思います。現代建築や現代デザインの歴史を振り返ると、フィンランドと日本がその中心的役割を果たしてきたことがよくわかります。また、将来においても、人間を取り巻く環境、すなわち、私たち人類が存在していく可能性をもたらす物質的な環境を作り上げていくうえで、フィンランドと日本は主要な役割を担うべきであり、私たちにはその役割を担う力がある、とも考えていました。
 私たちを結びつけた三つ目の理由は、日本とフィンランドが共に、情報技術ならびに通信技術の開発における主要国である、という点です。ここでも、私たちの国には共通点があります。日本もフィンランドも単にハード面の技術に優れているだけではなく、技術を人間的なものにしようという気持ちとその能力があります。また、人間的な利益をもたらし、人間の尊厳を尊重する先進技術の応用方法を見つけたい、と願ってもいます。この点で、日本とフィンランドの足並みは揃っています。そして両国は、競い合ってはいますが、同時に多くの協力もしています。
 私たちが協力する四つ目の理由は、デザインが今までとは別の意味を持つようになってきた、という点です。現在、デザインは、社会や世界経済で新しい役割を果たしており、経済や産業、そしてサービスを発展させる上で極めて重要な要素となってきています。
このイベントを支援する団体の一つ、ノキアの年次報告書を読むと、そこには、彼らの事業を推進する三つの重要なことがらが挙げられています。その三つとは、先進技術、使いやすい技術の適用、そしてデザインです。この三つのうちの二つまでもが、デザインに関係しています。つまり、使いやすいソリューションやアプリケーションの開発と製品の文化的価値の形成であるデザインです。世界経済を形成していく上で、デザインは新しい役割を果たしています。
 また、生活の美的側面が重視されるようになっている、ともよく言われています。私たちの生活では、視覚的文化、すなわち美的文化が非常に大きな位置を占めるようになってきているため、デザインの重要性も高まってきています。
 デザインの持つ意味合いが変化したことで重要となってくるのが、環境を調和のとれたものにする必要性です。栄久庵氏は最近、環境の質、すなわち物質的世界が持つ精神的な意味合いを理解することについて語っていますが、調和のとれた環境の実現にとって、デザインや建築は非常に大きな力を持つツールとなります。このような理由から、今回、この協力体制が設立されましたが、このシンポジウムもその重要な一部となっています。そこで話題を「静けさ」へと転じたいと思います。

 以前フィンランドで開催されたシンポジウムでは、静けさの持つ意味について話しあいました。そして、私たちが静けさという言葉を限られた見方でしか捉えていないのは、英語の「Quietness」という言葉を使っているせいではないか、と考えました。私たちが使っていたのは、自分たちの文化以外の言葉です。そこでフィンランド人の作家で、多くの日本文学や詩をフィンランド語に翻訳している翻訳家でもあるカイ・ニエミネンに「Quietness」という言葉の言語学的な意味を調べてもらいました。ここでは、彼の分析に基づいて話したいと思います。
 「Quiet」をフィンランド語にすると「hiljainen」となります。「Hiljainen」と英語の「quiet」の意味は、ほぼ同じです。また、カイ・ニエミネンは「quiet」と「hiljainen」に相当する三つの日本語を見つけてくれました。一つ目は「静か」という言葉で、これはフィンランド語では「hiljainen」「aancton」「liikkumaton」「hnomaamaton」英語では「soundless(音のしない)」「unmovinmg(静止の)」「unnoticed(気づかれない)」という意味になります。二つ目の日本語は「穏やか」というもので、これもまたフィンランド語では「hiljainen」です。しかしフィンランド語では「tyyni」「hillitty」「leppca」とも言うことができ、英語では「calm(穏やかな)」「restrain(抑制された)」「gentle(優しい)」となります。そして三つ目は「安らか」で、フィンランド語では「rauhallinen」「levollinen」「vakaa」英語では「serene(安らかな)」「tranquil(平穏な)」「stable(安定した)」となります。  今述べた三つの主要な意味は、日本語の「静か」「穏やか」そして「安らか」という言葉に基づいたものです。これらの言葉は形態論上、非常に興味深く(英語の「quiet」やフィンランド語の「tyyni」と同じように)形容詞であると同時に名詞でもあるというやや曖昧な言葉です。これらの言葉は、フィンランド語の 「sini」のような省略的な言葉、とも言えます。「sini」は「taivaan sini(空の青)」という言いまわしでは名詞の役割をしますが「sinitaivas」(青空)という合成語では、形容詞的なはたらきをします。さらに、慣用的ではない言いまわしで使われるときは、「shininen kukka」(青い花)のように、不変化詞に似た接尾辞が必要となります。日本語のそのような言葉は、修飾的な関係をあらわす “な”という屈折接尾辞がついて「静かな」となったり、副詞的はたらきを持つ後置詞の「に」がついて「静かに」となったりします。  辞書に載っている例を見てもわかるように、言語が異なれば、言葉の持つ暗示的意味(およびニュアンス)も異なります。どの言語も、それぞれの独自の認識体系を持っています。英語辞書のウェブスターが第一の定義としている「still(静止した)calm(落ち着いた)motionless(動かない)」は、日本語の三つの意味、すなわち1)動きのない/静かな、2)穏やかな/平静な、3)安らかな、をすべてカバーしているだけでなく、この三つの意味がいくらか混合されてもいます。
 一方、先ほどの例でも示したように、カイ・ニエミネンは、この三つの日本語の言葉それぞれに、フィンランド語の同意語を見つけました。ちなみに、同意語を見つけたのは、その言葉の特徴を示すためのもので、言葉を定義するためではありません。言葉というものは、文脈の中にあって初めて意味を持ちます。ですから私たちの場合は、建築物やデザインという文脈、そして私たちが持つツールを使って形成する物質世界という文脈における、「quiet(静けさ)」の意味を探さなければなりません。しかし、ここでは、quiet(静けさ)の言語学的説明について述べたいと思います。
 通常のコミュニケーション(スピーチや文学)では、言葉に絶対的な意味はありません。これは、元々のコミュニケーションでも、それを翻訳したものでも同様です。文脈や、暗示や、目的が一つの枠組みを作り上げ、言葉はその枠組みの中で思想や意味を伝達します。皮肉な例としては、最近はやりの言いまわし「tacit knowledge(暗黙の了解)」があります。これをフィンランド語に訳すと「hiljainen tieto(quiet knowledge)」となりますが、この文脈におけるこの言葉は「quiet」の持つ意味合いとはまったく無関係です。
 ここで言う英語の「quiet」に相当するフィンランド語「hiljaa」には、「ajaa hiljaa(ゆっくり運転しなさい)」と言うときに「hiljaa」が持つ「slow、slowly(ゆっくり、ゆっくりと)」という意味合いはありません。この意味から「rauhallinen、levollinen(穏やかな、静かな)」を連想するのは簡単ですが、副詞の「hiljakkoin, hiljan, hiljattain」が近い過去を示すことを理解するには「hiljaa」と「hitaasti」が同じであることと(「落ち着いて」と「ゆっくりと」が同じであること)「aika on hidas eika ole viela ehtinyt paljonkaan kula(時間はゆっくりで、あまり経っていない)」を直感的に理解できなければいけません。ですから「quiet」のフィンランド語訳である「hiljaa」は、ゆっくりと、という意味もあてはまるのです。これは、建築やデザインにとっても非常に重要なことだと思います。なぜなら、建築は、物質世界を相手にするだけでなく、時間における私たちの経験も相手にしているからです。
 フィンランド語を話す人なら、ツウラ・ヘイッキラのフィンランドのタンゴ「ランナラ」の歌詞「Niin hiljaa, niin hiljaa jai/Kaipaamaan suudelmiaan. Niin hiljaa, niin hiljaa kay rannalle uneksimaan;/'Jos rakkaani jallen laiva valkoinen tois, /niin hiljaa, niin hiljaa jaada syliini vois」は、すんなりと理解できるはずです。しかし、ここに何度も出てくる言いまわし「Niin hiljaa」は、どのような英語に訳すでしょうか?Quietとするでしょうか?それともStill、またはSilently、もしくはGentlyとするでしょうか?では、日本語ではどうでしょう?静か、としますか?それとも、穏やか、または安らかとしますか?ここに出てくるのは「hilajaa」という言葉の持つもう一つのニュアンスで「あきらめ、もの悲しく運命に従う」という意味です。

 日本の歴史上もっとも名前の知られている女性の一人に、静(しずか)御前という人物がいます。彼女は、十二世紀の京都の踊り子で、その恋人は、英雄的な武士の中でもとりわけ有名で、数多くの物語や歌、芝居で取り上げられている武士、義経です。義経の兄の頼朝が、義経を暗殺しようと謀ったとき、静はその噂を聞きつけ、恋人に危機を知らせました。義経は逃亡しましたが、静は、頼朝の捕虜になりました。そして、義経の居所を教えなければ殺す、と頼朝に脅されても、彼女は義経が隠れている場所を明かしませんでした。自分のために舞うように、と頼朝に命じられた静は、舞を舞いながら、即興で、義経に対する深い愛情を謳った激しい愛の歌を作りました。これに腹を立てた頼朝は、その恨みを晴らすべく、後に義経と静の子供を溺死させてしまいます。静はまさに、忠実で、英雄的で、自己犠牲的な女性の典型です。
 では、彼女の名前であるシズカ(静)(「hiljainen」「quiet」)にはどのような意味がこめられているのでしょうか?もちろん、先に述べたような「あきらめ、もの悲しく運命に従う」という意味はありません。静は、フィンランドの国民詩カエワラに登場するアイノに似た、悲劇的なヒロインです。アイノもまた、強い反抗心を持ち、みずからの運命を生きた女性です。静という名前からこれまで日本人が連想してきたイメージが、現在のこの言葉の暗示的意味(辞書に定義されている意味ではなく、潜在意識にある意味合い)を作り上げたのではないか、と私はにらんでいます。静は、勇敢で忠実で、優しく、美しく、奥ゆかしく、親切で、意志の強い女性でした。踊り子という素性にもかかわらず、彼女はあつかましくもなければ、派手でも、軽率でも、傲慢でもなかったのです。
 このように、「静か」「hiljainen」「quiet」という簡単な言葉の言語学的解釈からもわかるように、言葉や思想の真の意味は、特定の状況のなかではじめて形作られます。言葉には絶対的な説明も翻訳もなく、「quiet」や「hiljainen」「静か」の意味を完全に理解するには、日本やフィンランドの文学をひも解き、その物語のなかから、その言葉の解釈を探さなければなりません。

 この短いスピーチの最後に、日本フィンランドデザイン協会の活動の成果が形になった最初の成果を紹介したいと思います。これは、フィンランドで開催したホワイトナイツ・シンポジウムにおけるスピーチやディスカッションを編集し、印刷した本です。ホワイトナイツ(白夜)は、心楽しく、穏やかなものです。この本をお渡ししたいと思いますので、日本フィンランドデザイン協会の日本人メンバーの皆様、どうぞ前にお越しください。皆様がこの部屋をお出になる際には、部屋の前かドアのところでこの本を一冊もらっていって下さい。静けさの中でこの本を心穏やかに読み、ここに記されているさまざまな意見をお楽しみいただけたら幸いです。この素晴らしい皆様の前で話す機会に恵まれたことを、心から感謝いたします。



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