講演

アルヴァー・アールト:ヴィープリ図書館
エサ・ラークソネン

ヘルシンキ工科大学 教授, アルバー・アールト アカデミー ディレクター



 ここでは、アルヴァー・アールトの代表的な作品であるヴィープリ(現在はロシアの一部)図書館を、そのデザインと歴史的観点から、また文化的、建築学的視点から紹介し、それがヴィープリの住人の生活にどのような影響を与えたかについて語りたいと思います。
 フィンランドでも最も有名な建築家、アルヴァー・アールトは、数年の歳月を費やしてヴィープリの図書館本館を設計しました。彼の出展作品“WWW”は、1927年に開催された公募の建築コンテストで一位となり、世界的な不況によって介入されるまで、彼は古典的な様式にならってその設計を進めていきました。しかしいつのまにか、アールトの設計様式は一変してしまいました。1930年代はじめにようやく完成した図書館は、1920年の設計図と機能的に似ているところはあったものの、コンテストで優勝したものとはまったく異なる建物になっていました。また、建築された場所も、市の公園の中心軸内ではありましたが、最初の計画からは何百メートルか移動されていました。

Viipuri library in the 30's, before the war
 1935年に落成したヴィープリ市の図書館は、当時の図書館としては、世界でも最も進歩的なデザインでした。この図書館は、アールトの代表作品の一つに数えられ、たちまちのうちに『ブリティッシュ・アーキテクチュラル・レビュー』誌とイタリアの『カサベラ』誌の表紙を飾りました。ヴィープリ図書館の建物は、アールトの国際的な名声を高め、彼は世界有数の建築家として知られるようになりました。図書館は、細心の注意を払って設計されており、当時としては大変新しい設計理念をいくつか取りいれ、非常に優れた技術が細部にまでこらされていました(これは、アールトの建築物全般に見られる特徴です)。図書館は、たちどころにヴィープリ市民の憩いの場となり、過激とは言わないまでも、非常に現代的なその建物を巡っては、賛否両論が巻き起こりました。

interior during the war years
 第二次世界大戦中、この建物の役割とその歴史は劇的に変化しました。図書館が、ヴィープリに住むフィンランド人たちの手にあったのは、いわゆる冬戦争で1939年に旧ソ連がこの町に進攻してくるまでのわずか4年間でした。第二次世界大戦の第二段階(1941年−1944年)において町が再度フィンランドの手に戻ると、市民たちも町に戻り、ほとんど無傷のまま残っていた図書館も再開されました。しかし終戦とともに、ヴィープリ(ならびに、フィンランド東部のカレリア地方の大部分)は旧ソ連の支配下となり、自称フィンランド人の住民たちはフィンランドに逃れました。一方、町に残った人々は、旧ソ連の当時の国内政策に従い、歴史的にほとんど、もしくはまったく共通点のない割譲された土地に移住することを強いられました。アールトの図書館がヴィープリの住人の生活に果たした役割は、その後7年ほどでついに終わりを告げましたが、あの時代の人々は今でも、正面玄関から貸し出し係りのところまで歩いていくときに味わった、建築のすばらしさを懐かしげに語っています。
view of the main lobby in the beginning of the 90's
(Photo: Vijnanda Derco)
 戦後、図書館は荒れるにまかされ、天井板はたきぎとして使われ、館内には浮浪者が住みついていました。1950年代半ば(スターリン主義スタイルの革新計画が却下された後)には、以前の建物の様子を少しでも蘇らせようと改装が施されました。そして、建物は、町の図書館として再び利用されるようになり、今日では、この町の住民の主要な文化的集会所となっています。ちなみに、アルヴァー・アールトは、改装にはまったく関わっていません。彼にすれば、この図書館はもう存在していないのと同然で、なんと、シグフリード・ギーディオンが著した教科書『建築の歴史』には、この図書館は戦争によって破壊された、と記されています!  図書館は長い年月を経てすっかり老朽化し、1976年にアールトが死去し、さらに1991年に旧ソ連が崩壊した後は、フィンランドが管理する国際的改装計画の改装対象となりました。ファサードや屋根は徐々に本来の状態へと修復されていますが、ヴィープリ図書館が戦前の素晴らしい姿を取り戻すには、まだ多くの作業が必要です。

 この建物の物語から私たちはどんな教訓が学べるでしょうか? また、この物語は、私たちが西側世界のあらゆるところで直面している問題(つまり、ある土地が新しい発展段階に進む際に直面する問題)とどのような関わりがあるでしょうか? 大事なのは、細心の注意を払い、専門的な技術を駆使して設計された建築物は、その根本的な目的が普遍的である限り(ヴィープリでは今日でも、70年前と同じ方法で本が読まれ、貸し出されています)、どのような状況にあっても残り続ける、ということを胆に命じることではないでしょうか。実際、ヴィープリ図書館は二つのまったく異なる社会、二つの戦争(フィンランドの冬戦争と継続戦争の二つ)、そして無頓着な利用を体験しましたが、現在でも機能しています。子供用のセクションをはじめとする建物の内部は、今でも1930年代と同様に使われており、事務所エリアや倉庫スペースも昔と同じように利用されています。

 松崎(Matsuzaki)地域の将来を計画する上で、このヴィープリ図書館の物語は、貴重なヒントとなると言えます。私たちは、今、その結果が末永く残る、重要で勇気のいる決断を下さなければなりません。そしてその決断は、そこに住む人々にとって意義のあるものでなければなりません。私たちは、古いものを大切にし、既存の伝統やインフラストラクチャを維持していかなければいけません。たとえその時代にはふさわしくても、その場所にはふさわしくない「ディズニーランド」スタイルの解決方法は避けなければなりませ ん。私たちは、地元の生活習慣や風景、歴史、文化、町のスペースを尊重した決断を下さなければなりません。また、最高水準の専門技術を採用することは、建物の設計にとってとりわけ重要です。そうすることによって、私たちは開発に夢を与え、永続的な未来を作り上げることができるのです。



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